■新年に電灯がともる-大正6(1917)年1月-489回
倶知安に初めて電灯がともったのは大正6(1917)年1月。当時の新聞には『後志特報(倶知安支局)電氣營業開始』の見出しが載っています。
「倶知安に電気を」と本格的に動き出したのは大正時代に入ってからのこと。最初は町外資本の発電計画を模索しますがうまく進まず、町の有志たちは「1日も早く電気をつけよう」と、大正5(1916)年1月10日に『倶知安電気株式会社』を設立するとすぐに工事に着手。ペーペナイ川(現京極町字春日)に水力発電所を建設し、電柱を立て電線を引き、12月25日には試験点灯を成功させ、翌大正6年1月1日から電気を供給する体制を作り上げます。記録には、供給開始時の点灯戸数813戸、電灯個数2,665個、使用電柱473本、電線延長約66キロとあり、これを1年足らずで成し遂げたパワフルさに驚かされます。
家々にともった電灯は、明るさ20ワット程度の白熱電球が一般的でした。現在の蛍光灯やLEDとは比べものにならない小さな灯りですが、ランプとロウソクで暮らしていた当時の人にとって、この“文明の灯り”は、大きな驚きとうれしさいっぱいの新年のお年玉となったことでしょう。
さて、冒頭の新聞記事には「大風雪のため検査が遅れ10日から正式に営業を開始」と書かれています。雪に悪戦苦闘したあたり、なんとも倶知安らしい歴史でもあります。
文:紺谷貴之(倶知安風土館学芸補助員)
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