■倶知安の春競馬 492回
本紙右の写真は、「昭和5年度春季倶知安競馬」の出走馬一覧表が掲載された小冊子で、今でいうレーシングプログラムです。倶知安競馬は北海道の地方競馬として、昭和5(1930)年から昭和12(1937)年まで開催されていました。
昭和2(1927)年、地方競馬規則の施行によって、道内14の支庁に各1場の競馬場設置が許可されることになります。後志では倶知安町、余市町、朝里村の3地区が名乗りを上げ、誘致合戦の結果、「倶知安競馬場」の設置が決まります。
競馬場は、現在の倶知安農業高校の敷地に造成され、1周1,200メートルの馬場、厩舎(きゅうしゃ)3棟、下見所(パドック)、騎手らの合宿所などの施設を備えた、地方競馬場としては道内で一、二を争う立派なもので、春と秋の各3日間行われる競馬には、毎回多くの観客が集まり、初開催では1日に7千人が来場した記録があります。1日に9~12回行われるレースには、道内各地の生産馬とともに倶知安産の馬も出走していました。
春競馬が開催されるのは、ちょうどワイスホルンに雪形の白馬が現れる頃。山を駆ける白馬と雪残る羊蹄山をバックに疾走する駿馬(しゅんめ)たち。競馬ファンならずとも心踊る景色だったことでしょう。
文:紺谷貴之(倶知安風土館学芸補助員)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>