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ふるさと探訪

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北海道倶知安町

■ソウスケ川 493回
今回は、江戸時代の終わり頃、安政4年(1857)に訪れた松浦武四郎の「丁巳(ていし)日誌」に記された、ソウスケ川についてです。ソウスケ川は倶知安町水道の水源「高砂水源地」から流れ出て、高砂の丘陵の手前の低地を西に流れ、国道5号と交差して尻別川に合流する川で、日誌には、『川口は巾十間計(約18メートル)も有り、其西岸柳・赤楊(はんのき)多し。(中略)是より入るに水少し温くして清冷、水底小石多し。凡五丁計(約545メートル)も屈曲して行や一軒の茅屋有。其傍に庫一ケ所有けるが、其辺り寒塩引やチナゝを多く取乱し有る』、『むかしは人家三軒有し由なるが、皆岩内の浜へ下られ、其家皆断絶致せしが故に、只今乙名一軒のもちと成居たるよし。』、『秋は家内一同罷越、持行候塩限りを塩引とし、其残りは皆干鮭またチナゝ等に切込候。其塩引能く手配届きし節に弐百三十石目も捕し事も有る』と記されています。
武四郎がソウスケ川を訪れたときには、もともと人が住んでいた三軒の家があったものの、人が住まなくなり荒れた様子でした。岩内の乙名(集落の取りまとめ役)のアイヌの方が家族でサケを獲って干鮭や塩引鮭を作っていたようです。多い年は13,800尾(一石=60尾)も獲れるところだったようです。名前の由来はアイヌ語で『ソッキ(床鮭床ノ義)』と呼ばれ、羊蹄山の冷涼な湧き水と川底に小石や砂が厚く堆積し、サケの産卵に適した環境だったのでしょう。
暖かい春の一日、倶知安の風景を見に出掛けませんか。
文:今井真司(倶知安風土館学芸補助員)

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