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北海道倶知安町

■倶知安の記念碑-中村輿三松(よさまつ)記念碑 497回
1986(昭和61)年11月に廃線になった胆振線(倶知安―伊達紋別間)は、1919(大正8)年に脇方鉱山(褐鉄鉱床…現京極町)に開通した鉱石運搬専用軌道「京極軽便線」に端を発します。
この鉱山鉄道の延伸に多大なる貢献をしたのが、倶知安町六郷市街の豪商・中村輿三松でした。彼は、商売柄関わりの深かった喜茂別方面の住民からの強い要望に応え、その身と私財を投じて、1928(昭和3)年、胆振鉄道(京極―喜茂別間)の鉄道敷設の夢を果たしました。胆振鉄道はその後、胆振縦貫鉄道、胆振線へと名と姿を変えていきました。
「六郷鉄道記念公園(北4東8)」は、胆振線廃線後、胆振線六郷駅跡に建設された公園です。園内には、胆振線開通の功績をたたえ、中村輿三松記念碑が建てられています。碑に刻まれている一節は次のとおりです。
「京極、喜茂別方面を商圏とし人望の厚かった中村輿三松氏は大正十五年衆望を担って私鉄胆振縦貫鉄道株式会社を設立、私財を投げうって鉄道の敷設、会社の運営に奔走、昭和三年十月、京極―喜茂別間一〇・八粁(キロメートル)の鉄道敷設を成し遂げた」
六郷地域が最も栄えていたとされる大正から昭和初期の詳細な地図が当館に残されていないのは残念ではありますが、彼の商店で使用された徳利は、今も風土館に保管されています。ぜひ、ご覧ください。
文:小田桐亮(倶知安風土館学芸員)

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