■倶知安の記念碑-倶知安、小学校発祥旧跡地碑 501回
現在の倶知安神社境内の丘の下に1896(明治29)年9月11日、「倶知安尋常小学校」が開校しました。倶知安で最初の小学校です。
倶知安の開拓は、この4年前の1892(明治25)年に始まりました。年を追うごとに本格的になると、子どもを連れた家族での入植者も増加します。しかし、開拓が始まって間もないこの頃にまだ学校はなく、子どもの教育をどうするかが次第に問題になっていきます。
1895(明治28)年には、豊岡のマッチ軸工場「縫部(ぬいべ)製軸所」に従業員の子どもに読み書きを教える小さな私塾が作られましたが、翌年の1896年に入植者の戸数が780戸にまで増えると、いよいよ公的な学校建設の機運が高まります。
これを受けて役場では同年2月に「小学校設置の議」を決定。雪が解けると校舎建設に取り掛かり、9月11日に最初の小学校「倶知安尋常小学校」が開校します。校長にはマッチ軸工場の私塾で教えていた上田甚助氏が就任しました。なお、このときの建設費用210円のうち160円は住民の寄付によるものでした。
今でも、倶知安神社の社務所北側には、校舎の基礎に使われた束石が「倶知安、小学校発祥旧跡地」の碑として残っています。
文:紺谷貴之(倶知安風土館 学芸補助員)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>