■リイシリ場所絵図
中央に山がそびえ、周りの海岸線は入り江が大きくデフォルメして描かれている一枚の絵図。右上に「リイシリ場所絵図」とある通り、利尻・礼文に場所請負制度(有力商人にアイヌとの交易や商場の経営を請け負わせ税金を納めさせる制度)が導入されたとされる18世紀後半以降に作成されたものとみられます。当時の島内の状況をくわしく描いた絵図としては一番古く、福島県会津若松市にもこの絵図の写しが残されていることから、1804年の会津藩北方警備の際にはすでに汎用されていたようです。
絵図をくわしく観察すると、山のふもとには多くの建物が立ち並び、円い大きな湾が描かれています。地名は「トノトマリ」と呼ばれ、そこには運上屋があり、方角は北を示していることから、現在の本泊を指しています。建物は、運上屋の関連施設である井戸や番家、蔵(クラ)のほか、ニシンやタラ、ナマコ、昆布など海産物の生産に従事したアイヌの家屋(夷家)などが点在し、神社としては唯一、湾のなかの小島に弁天社が祀られていました。鴛泊にも弁天社があり、これは現在ペシ岬のふもとにある厳島神社に由来するものです。また、番家や蔵、夷家は、鴛泊(ヲツチ)や大磯(ヲトントマリ)、新湊(ヒヤコロ)、沓形(クツカンタ)など、島北部にだけ集中している様子が見て取れます。
今回ご紹介した絵図は、人間文化研究機構国文学研究資料館所蔵データを改変したものです。誰でも閲覧することができますので、ぜひQRコードからご覧ください。
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