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自治体の皆さまへ

辰年さんに聞きました!

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北海道天塩町

2024(令和6)年は「辰年」!
天塩町の辰年さん6名にお話を伺ってきました!

■1952年(昭和27年)
▽当時の天塩町は…
・天塩町商工会が設立(5月)
・天塩簡易裁判所に旭川家庭裁判所天塩出張所が併設(6月)
・天塩町教育委員会事務局が設置(11月)
▽当時の日本は…
・GHQが廃止し、日本の主権が回復

今年72歳になる髙田壽裕(たかだとしひろ)さん
◆農業被害に対処し、減らすため地域に貢献したい!
子どもの頃の思い出は、冬に市街地脇の川の氷に乗ったり、鏡沼を泳いで横断したことですね。
21歳から現在までコンクリート製造の仕事を続けてきました。高校生の頃から渓流釣りに熱中し、熊との遭遇に備え20歳のときに、狩猟免許を取得してから約50年にわたり狩猟も続けてきました。ヒグマに関しては21歳で初めて仕留めてから、最近では有害駆除で年に約5頭ほど捕獲しています。長年にわたりヒグマを追い続け、行動の経路やパターンなど生態について経験値を蓄積してきました。最近、ヒグマの個体数が年々増えていることに加えて、人目につくような場所にも出没する個体が多くなりました。エゾシカも増えており、農業被害は深刻ですから、少しでも軽減できるように地域に貢献したいと思っています。

■1964年(昭和39年)
▽当時の天塩町は…
・オリンピック東京大会聖火協賛リレーが天塩町を通過(9月)
▽当時の日本は…
・日本人の海外観光渡航自由化
・オリンピック東京大会が開催(10月)

今年60歳になる佐々木千代子(ささきちよこ)さん
◆地域の方々が皆、健やかに暮らせるように!
小学生の頃の天塩での思い出として、鏡沼にリヤカーで炊事遠足をしたことがとても懐かしいです。
天塩高校を卒業する時、手に職を付けて早く自立したいという思いから看護師を目指し、留萌と札幌の看護学校を経て札幌の脳外科病院で看護師として経験を積み、48歳の時に帰町して11年が経ちました。天塩での病院勤務を通じて、あらためて「自然の豊かさ」と「人の温かさ」を実感するとともに、人と人との繋がりの大事さを再認識しました。趣味は散歩や登山で、草花の鑑賞や職場の仲間とマラソンをしています。今後は、師長としての役割を果たし後進にバトンをつなぎ、町民の皆様が健やかに生活ができるよう一層努めていきたいと思います。

■1976年(昭和51年)
▽当時の天塩町は…
・ファミリースポーツセンターが設置(9月)
・恵愛荘が竣工(12月)
▽当時の日本は…
・石屋製菓が北海道銘菓「白い恋人」を発売

今年48歳になる菅井文人(すがいふみと)さん
◆町も、地域の誇り「シジミ」も元気にしたい!
子どもの頃の天塩の思い出は、商店街が賑わい、祭りや行事など町民皆で盛り上げて活気があったと思います。近所の川でヤツメウナギやドジョウを獲ったのが懐かしいです。
漁師になって約20年が経ちました。天塩の名物である「シジミ」は、資源の減少が懸念されましたが覆砂事業等の効果も出始め資源量は復活の兆しをみせていると感じています。天塩川の持つ生態系キャパシティの大きさをリスペクトする一方、生活史毎に最適な環境に適宜、移植すること等、町の誇りであるシジミを町民の皆さんにも気兼ねなく味わい親しんでもらえるよう良質なシジミが安定して育めるような資源管理や他の漁業資源も含め町に恩恵をもたらすサイクルを目指し、試行錯誤を繰り返していきます。

■1988年(昭和63年)
▽当時の天塩町は…
・社会科副読本「わたしたちの天塩」が刊行(3月)
・天塩町・幌延町森林組合が合併し留萌北部森林組合となる(6月)
▽当時の日本は…
・青函トンネルが開通

今年36歳になる池端健至(いけはたたけし)さん
◆子供たちが集まり、楽しめる場をつくりたい!
幼い頃の思い出として「カルタ」が印象的です。当時は町内会や子ども会など町ぐるみで賑わっていた感があります。カルタの醍醐味はスピードと正確さ両方の絶妙なバランスでの競い合いですね。新型コロナで大会が中止になって停滞してしまった感がありますが、またかつてのように復興させたいです。
平成21年に農協職員として働きはじめ15年目になります。購買課で資材等の販売を担当していますが、折からの物価高騰等により困難に直面することも多々ありますが、お客さんに「ありがとう」と言っていただくことが励みになります。昨年は、商工会と農協の青年部と4年ぶりにビアパーティーを開催しましたが、今後も、町の子供達が集まり楽しんでもらうコトと場作りをしたいと思っています。

■2000年(平成12年)
▽当時の天塩町は…
・てしお温泉「夕映」がオープン(6月)
・天塩町開基120年式典(10月)
▽当時の日本は…
・有珠山が23年ぶりに噴火
・二千円札が発行

今年24歳になる中西音羽(なかにしおとは)さん
◆子どもたちの成長を見守り、支えられるよう励みたい!
天塩で生まれ育った私は小さい頃から「獅子舞」に参加させていただいていました。その中で天塩町内をまわり、町の人たちと関わったことが思い出深いです。
私は現在、天塩町で保育士をしており5年目になります。保育士を志したきっかけは、天塩高校2年生の時のインターンシップで「こども園」に行き職業体験をしたことで子どもたちと関わり、楽しさを感じたからです。そのため、高校卒業後、旭川の短大に行き、保育の勉強をして資格をとりました。園活動の中で多くの学びや遊びを通して子どもたちと楽しく充実した日々を過ごしながら、日々の成長する姿を見ることが出来た時にやりがいを感じます。今後も、これまで学んできたことを生かし、先輩保育士の保育を見て学び、子どもたちの成長に寄り添えるよう、頑張っていきたいです。

■2012年(平成24年)
▽当時の天塩町は…
・更岸小学校が104年の歴史に幕(3月)
・町のマスコットキャラクター「てしお仮面」が誕生(11月)
▽当時の日本は…
・東京スカイツリーが竣工

今年12歳になる宍戸晧哉(ししどこうや)さん
◆全国大会に出場し、将来はプロ野球選手になりたい!
今、熱中して頑張っていることは野球です。野球少年団「天塩タイガース」の主将キャプテンとして、チームのみんなをまとめられるように大きい声を出して、どんな時も下を向かないで、楽しく笑顔でプレーすることを心がけています。今年の目標は、下半身を強化して、体重を増やしピッチャーとして球速を上げ、強打者になることです。そして、全道大会に出て楽しく笑顔で優勝して念願の全国大会に出場したいです。
将来の夢は、みんなから注目される大谷翔平選手みたいなプロ野球選手になることです。
最後に、いつも天塩タイガースを応援してくれる町民のみなさん、本当にありがとうございます。野球で天塩町を盛り上げたいと思いますので、これからもたくさんの声援をよろしくお願いします。

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