岩見沢は今年、開庁140年、市制施行80周年を迎えます。これを記念し、岩見沢のこれまでのあゆみや岩見沢に関わりの深い人、出来事などを紹介します。
■第9回農業の歩み
開拓当初は自給自足を目指し雑穀や麦が栽培され、明治19年ごろから稲の試作が広まりました。寒さに強い優良品種の開発や栽培方法の改良に加え、明治35年の土功組合法の施行が造田の追い風となり、同年に川向土功組合が結成、現在の稔町から西川町にかけて用水路が整備されたほか、各地の水利組合や土功組合が灌漑(かんがい)設備の整備維持に努めました。中でも、大正11年認可の北海土功組合が昭和5年に完成させた用水路は、現在の赤平市から南幌町まで延長約80キロメートルにおよび、市内を含む当時約10,000ヘクタールの農地を灌漑し、今日の米どころ誕生の礎(いしずえ)となりました。また、北村、栗沢を中心に畑作経営を補うための酪農業が広まり、綿羊など副業としての畜産も盛んに行われました。
戦後は食糧増産を目的に農地開発が進められ、石狩川流域の広大な泥炭地は、明渠(めいきょ)・暗渠(あんきょ)による排水、索道や軌道を駆使した客土で水田へと変わりました。また大型機械の導入にあわせて圃(ほ)場整備も進み、より効率的な生産が行われるようになりました。
幾度もの風水害や冷害を克服し、稲作を中心に発展した農業は、昭和45年からの米の生産調整と転作奨励、さらに対外的な農産物市場の開放により転換期を迎えました。そこで良質な米の生産を目指し、各地にライスセンターが整備されたほか、米に代わる小麦や大豆、玉ねぎなどの野菜、飼料作物、花卉(かき)など、多様な農産物を生産する経営形態へと変化していきました。
近年では、農家戸数や農業従事者の減少、消費者ニーズの多様化、温暖化を起因とした気象変動などの課題に的確に対応するため、輪作による生産性の向上、農業経営の法人化、農作業の効率化・省力化、コスト縮減に向けたスマート農業機器の活用など、持続可能な農業への取り組みが続いています。
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