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ふるさと見聞録

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北海道帯広市

■十勝鉄道100周年
写真/百年記念館所蔵
文/百年記念館 大和田努
農作物収穫シーズンの最後を飾るビート(甜菜糖)。秋から冬にかけて製糖工場に運ばれ、砂糖に加工されます。大正9(1920)年、「東洋一」とも称された北海道製糖帯広工場(現日本甜菜製糖総合研究所)が完成し、ビートの作付・砂糖生産が本格化しました。
ビートや砂糖の輸送のために、専用の線路が完成し帯広駅と接続します。大正12(1923)年には、この専用線が十勝鉄道株式会社として独立、旅客営業が始まりました。鉄路は川西・芽室の農村地帯に伸び、ビートや札内川で採取された玉砂利の輸送のほか、人々の移動にも役割を果たしました。
製糖工場は地域にインフラをもたらしただけにとどまりません。工場取締役としてやってきた佐藤亀太郎は、戦後に選挙で選ばれた初めての帯広市長となります。また、工場が川西村の北端(現稲田町)に位置していた関係で、後の川西村・帯広市合併のきっかけにもなりました。
地域社会にインパクトを与えた製糖事業は今日も続いています。十勝鉄道株式会社は令和5(2023)年に創業100周年を迎え、輸送手段は鉄道からトラックに変わりましたが、今なお「十勝鉄道」の名を継ぎビートを運んでいます。

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