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大切な地域の風景「文化的景観」

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北海道平取町

北海道平取町〈アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観〉は、国の重要文化的景観のひとつに選ばれています。

■『平取町のバス停に地域住民の景観認知をみる』
紫雲古津の南端に「荷菜摘」というバス停があります。もともとの意味はニナㇻ・チミ・ㇷ゚(台地・を左右にかき分ける・もの)という沢名ですが、集落名称であるニナツミコタンを示す地名としても用いられています。
安政5(1858)年に沙流川流域を訪れ、地域の暮らしや地名を詳細に記録した松浦武四郎の日誌には、「門別川上流のクッタラ付近に人家が6軒ある。100年前までは沙流川すじのニナツミにあったが、こちらの方が生活に便利なので引っ越してきた…」という説明があります。また、大正6年に刊行された『平取外八箇村誌』では、ニナツミの元々の場所はペナコリ(現荷負)の少し下流側(二風谷側)のあたりで、シカ猟の利便性を図るために門別川流域に集落を移した後、明治19年の勧農政策により、現在の紫雲古津の南端に移住したと記されています。

川向を流れるシラウ川の河口の少し下流の台地は、ニナチミㇷ゚と呼ばれています。明治31年におこった沙流川の大洪水の時に、荷菜摘から移住してきたと伝えられています(『沙流郡のアイヌ語地名I』より)。一部の人はその台地に集落をつくり、もう一部の人たちは現在のシウンコツの地に集落をつくったと記録されています(『平取村開村五十年史』より)。
荷菜摘の景観形成を学ぶことで、私たちは明治以前の生業やその後の農業政策、自然災害に向き合ってきた暮らしの実態を深く知ることができます。住民の暮らしの変遷を、バス停の名称から学べるのは少し意外と思われますが、実はそういう場所が平取町内のいたるところにあります。また、そのほかにも町内には、私たちが郷土史を学ぶための建物や宗教施設、石碑などが多く所在します。そのひとつひとつに、地域の深い歴史と住民の想いがあります。
文化的景観の保全は郷土史や地域産業、文化継承などを知るためのツールにもなります。アイヌ語地名や歴史的建造物なども含めた地元の財産を今後も大事にしていきます。

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