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自治体の皆さまへ

“あの日”と”いま”を繋ぐ―村民おもいでリレーNo.7-

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北海道新篠津村

■支え、支えられて
南ヶ丘
阿保 イツさん(94)

◆故郷の思い出
私は昭和4年4月3日、青森県南津軽の尾上町というところで生まれました。尾上町は山に囲まれた内陸で、新篠津に似てのどかなまちです。今は編入されて黒石市になりました。
私は7人兄弟の長女で、年上には兄が1人。父は郵便局に勤め、小規模ですが母は農業をしていました。そういえば、農用馬を飼っていましたね。当時は、出荷する分と自分たちで食べる分のお米と少しの野菜を育てていました。私は勉強が好きではなく、学校を休んで母の手伝いをよくしていたので、農作業をしていると弟から「お姉ちゃん学校行こうよ」って何回も言われましたね。少し年が離れた弟と妹とは、仲が良く、とにかく学校が大好き。私がおぶって一緒に学校へ行ったことを思い出しました。

◆開拓の一歩
私が結婚したのは昭和29年。夫は農業の実習を終え、開拓団に参加していました。昭和30年、縁があって夫と一緒に新篠津の西高倉へ入植。夫から後で聞きましたが、当時の開拓団の偉い人から「土地が欲しいなら結婚して2人で入植しなさい」と言われていたそうです。
新篠津に来てからは夫と一緒に用水路の整備作業をしました。これがまた本当に大変。当時の西高倉は樹木が少ない原野で倒木の作業をしないで済みましたが、泥炭地でぬかるみがひどく、思うように馬が使えない。みんなで人力で少しずつ整備しましたね。それでも、入植してすぐに知り合いの大工さんに家を建ててもらっていたので、生活の苦はなかった方かもしれません。

◆皆に支えられて
あっという間に月日が経ち、あれから自分の農地も増やし、子どもは男2人生まれました。子どもは農家を継がず、別の仕事に就きましたが、今も札幌と横浜で元気に仕事をしているみたいです。たまに会いに来てくれますよ。
健康ですか。これといって健康に気を使ったことはありませんよ。でも、デイサービスやサロンで仲間と会って、楽しくおしゃべりして、軽い運動をする。ひとりでいないことが一番じゃないですかね。そうそう、今も昔のことを思い出して良い脳トレです(笑)。色々とたくさんしゃべりすぎましたね。今日はありがとうございました。

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