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旭川偉人伝 VOL.4(1)

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北海道旭川市

旭川市長 今津寛介×元株式会社ニコン代表取締役社長 嶋村輝郎さん

市制施行100年を超える旭川市。その歴史は大きな志を抱いた、先人たちによる挑戦の積み重ねです。このコーナーでは、全国や世界で活躍されている旭川市出身の方やゆかりがある方をご紹介します。

■世界的カメラメーカー「ニコン」でご活躍
ニコンFなど数々の名機を世に送り出し、半導体関連の精密機器も得意とする株式会社ニコン。その社長を務めたのが旭川出身の嶋村輝郎さんです。最前線の現場を歩んできたトップならではの、人材育成やまちづくりにも通じるお話を今津市長が聞きました。

▽旭川の自然の中で育ち、本州の大学へ
市長:嶋村さんは高校まで旭川にいらしたんですね。
嶋村:実家が中心部の方で、日章小学校(6の5)に通っていました。夏は石狩川で泳いだし、冬は常磐公園の凍った池がスケート場、川の堤防がスキー場でした。とにかく外で、自然の中で遊んでいましたね。中学生になると軟式テニスに打ち込みまして、旭川西高校に入学してからは勉強一筋です。当時は今のような理数科はありませんでした。実社会で技術畑で活躍している人は理系出身の方ばかりと思われがちかもしれませんが、実は文系出身の方もいっぱいいます。
市長:東北大学に進学した理由を教えていただけますか。
嶋村:親の懐具合を知っていたので国立の東北大学に入学しました。だけど、時代が時代で、入学当時は60年安保闘争全盛で学生は互いに対立しているし、休講ばかりする教授もいて、落ち着いて勉強できる環境ではなかったですね。専攻は物理学で、進路を絞っていくうちに光学関連に興味を持ちました。

▽技術職と営業の両方で奮闘したステッパー事業
市長:なるほど。そうしてニコンを就職先に選ばれた。
嶋村:ニコンは、国公立の研究機関などから天体望遠鏡や分光器など理化学関係の特注品を受注していて、入社当初は中身が全然分からなかった。これでは仕事にならないと、徹底的に勉強をしました。幸い、南カリフォルニア大学へ留学をさせてもらい、失われた学生時代を取り戻しました。
ニコンは当時、カメラ・顕微鏡・測量機器などが主力でした。将来に備えての新規事業を検討しようと志士たちが集まり、「センサー会議」というプロジェクトを起こしました。これからは光センサーの全盛時代が来ると読んで、自動運転の話なんかも随分しました。結果、当社の固有技術であるレンズと超精密機械の設計・製造技術に電子工学を加えてできるものとして「ステッパー」(半導体露光装置、欄外参照)の開発が始まったんです。私は技術者として携わり、その後販売も担当しました。今の時代、半導体はさまざまな電子機器に使われています。ステッパーは半導体を作るために欠かせません。その開発に携われたことは、私にとって財産です。私が携わった当時の線幅は1ミクロンでしたが、今では技術進歩により数ナノ単位にまで変遷しました。
市長:まさに技術開発の最先端にいらしたんですね。
嶋村:そうですね。でも、なかなかスムーズには導入に至りませんでした。新しい製品を顧客であるメーカーに販売するには生産効率を上げるために何度も顧客との技術的な議論が必要で、その中でいろんな要求が出てきます。それらを検討して製品に反映させていかなければなりません。良いものを作るにはディスカッションが大切だと改めて感じましたね。営業の仕事はお客さんの意見を開発担当に上手くつなぐ仲介役としての役割があって、製品とはそうしたやりとりを経て、ようやく出来上がっていくのです。当時は国内の電子産業メーカー、アジア、欧州、米国などを駆け回りましたね。
市長:様々な声をいただいて、形にするための努力はまちづくりにも通じる部分が大きいです。そうした一連のお仕事の中で、社長に就任されたのですね。
嶋村:どうして社長になったの?とよく人に聞かれます。それは時の運ですかね(笑)私でいえばステッパーとの出会いだと思います。会社に新規事業が立ち上がり、機関車のような牽引力と実行力が必要でした。私は「同士」ではなく「志士」という言葉をよく使います。高い志を持ったメンバーが集まることが重要なのです。企業もまちづくりも同じです。何かイノベーションを行うときは熱情的な志士が必要です。明治維新を見れば自明です。

▽子供も大人も「明るく、元気よく!」
市長:最近は旭川には来られましたか?また、これからの旭川への思いや市民に向けたメッセージなどをお願いします。
嶋村:今も年に2回ほど旭川に帰っていて、子供の頃から「石狩川」、「旭橋」、「大雪山連峰」の3点セットはずっと心に残っています。空気が澄んでいて、ダイヤモンドダストなどの自然は他にはないことです。夜も静かで、田園都市の中に現代企業が存在するイメージが浮かびます。産業としては、旭川の軸足は農業なので、食品加工業が成長する余地はもっとあると思います。
私の3代くらい前の社長の就任第一声が「明るく、元気よく!」でした。聞いた時は、もっとかっこいい言葉があるだろうと思ったものです。でも社員や、市民の心が曇っていたら会社も地域も活性化しないのですよ。特に将来を担う子供たちには、明るく元気よく、思っていることを発信できるようになってほしいと思います。ものづくりもまちづくりも人づくりが基礎にあるのだと思います。
市民の方々にお伝えしたいのは、スクラップアンドビルドの精神です。批判することは簡単ですが、その代わりの案を出さないと、良くなっていきません。ものづくりもまちづくりも同じですね。議論して、不要になったものはやめる。そして、明るく希望溢れる街のイメージをみんなで共有し、形にしていく。そうやって旭川の未来が創られていくと良いですね。

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