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街の歴史トリップ

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北海道札幌市

博物館活動センターの古沢仁(ふるさわひとし)学芸員にお話を聞き、街に残る痕跡などから、札幌の成り立ちや今に迫ります。

■第3回 南北を分ける大通公園
札幌の南北を分け、現在は人々の憩いの場となっている大通公園の歴史を振り返ります。

▽大通は見えない水の境界線
現在の大通公園を境に、北側にはかつて水が湧き出す場所が豊富にありました。豊平川がつくった扇状地が、南から北に向かって一定に下に傾斜していたのに対し、扇状地の地下の水脈の傾きが、ちょうど大通の辺りで緩やかになっていたため、水脈が地表に近づき、水が地表から湧き出たのです。札幌を碁盤の目の区画にする計画がなされた時、農工業の試験開発に必要な湧き水があった大通周辺の北側を官庁街に、比較的水はけが良い南側を住宅街や商店街として分けたと考えられます。
・湧き水が豊富な北側は官庁街に、水はけが良い南側は住宅街や商店街に

▽官民地を分ける境界から公園へ
1872(明治5)年以降、職員官舎が大通を背にして建てられたため、大通はごみ捨て場や雪捨て場などとして利用されました。しかし、1876(明治9)年ごろ、欧米の品種を試験栽培する札幌官園が草花を大通に植えたことをきっかけに、ごみ捨てが禁止され、大通が公園へと姿を変えていくことに。1878(明治11)年に開かれた第1回札幌農業仮博覧会が、大通での最初の催し物と考えられています。1980(昭和55)年、都市公園法が適用されて大通公園となり、今日まで人々の交流の場として多くの催し物が開かれています。
・農業仮博覧会以降、多くの催し物が開かれる公園へ

▽旧豊平館の前庭に使われた川
約220年前まで豊平川の本流だった伏籠(ふしこ)川は、札幌を東西に分ける基準になった大友堀(創成川の基)に利用されたほか、1880(明治13)年に完成した当時の豊平館の、前庭の池にも利用されました。

詳細:広報課
【電話】211-2036

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