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手稲区親善大使 三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう)さん〜手稲山と歩む人生〜

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北海道札幌市手稲区

1932年、青森県生まれ。冒険家。2013年5月、80歳の時にエベレスト登頂に成功し、世界最高齢の登頂者としてギネス世界記録に認定されている。手稲山を活動拠点の一つとしていることなどから2013年10月23日に手稲区親善大使に就任した。

冒険家として世界で活躍する手稲区親善大使の三浦雄一郎さん。
手稲山への思いや、90歳を超えても活動を続ける健康の秘訣(ひけつ)を、お話しいただきました。(2023年7月インタビュー)

■〝手稲山は、スタート地点、第一歩の場所でした〞
・三浦さんが手稲山と出合ったのは大学入学の時だとお聞きしました。
1952年なので、もう70年以上も前になりますね。入学前でしたが、スキー部の合宿に参加させてもらいました。それで手稲山に夢中になり、学生の時は冬になると毎日のように当時のパラダイスヒュッテ(山小屋)に通ってスキーをしていました。

・その後はどのように手稲山と関わってこられたのでしょうか。
大学を卒業してからも、ほぼ毎年手稲山でスキーをしてきました。エベレスト山頂に80歳で登ったのですが、トレーニングをしていたのは手稲山でした。手稲山は、僕のスキー・登山人生において、いつも立ち返るスタート地点、第一歩の場所でした。
1972年に札幌オリンピックが開催された後、より多くのスキーヤーが楽しめるようにスキー場(現在のサッポロテイネ)が整備されていきましたが、顧問としてそのアドバイスなども半世紀近く行いました。
最近は頻繁には行けなくなってしまいましたが、自宅の窓から手稲山を眺めて元気をもらっています。

■〝病気になったとき、「治す楽しみができた」と思いました〞
・2020年6月に頸髄硬膜外血腫(けいずいこうまくがいけっしゅ)という難病で、手足が動かなくなってしまったと聞きました。現在の体調はいかがでしょうか。
当初、主治医からは「歩けるようになるのは厳しい」と言われました。約2年間、自力では生活が難しい「要介護4」状態でしたが、リハビリの末、つえを突きながら歩けるところまで回復できました。長い時間歩いていると足のしびれが強くなってくるという後遺症があり、歯がゆいところです。

・リハビリとして、どのようなことをしているのでしょうか。
基本的には、歩くことです。それと、階段の上り下り。今は住んでいるマンションの階段で、3階分の上り下りをしているのですが、今年8月末に富士山に登る予定なので、そろそろ5階分に挑戦しようとしているところです。そういったリハビリを最低でも週に6日、各1時間ずつ行っています。それに加えて週2日はジムに通い、ストレッチや筋トレを行っています。
あと食生活では、好きというのもあって、肉料理をたくさん食べます。焼肉店にもよく行きますよ。

・90歳という年齢を感じさせない生活ですね。そのように若々しさを保つ秘訣(ひけつ)は、やはり肉体的なトレーニングなのでしょうか。
それもありますが、一番大切なのは、常に「何とかなるさ」と前向きに考える心の持ちようだと思います。病気になったときも「治す楽しみができた」と思いました。トレーニングでも何でも、無理をせず、挑戦することを楽しむのが大事です。

■〝これほどスケールの大きな景色が楽しめる山は日本でも数えるほどです〞
・活躍の場を世界に広げてからも手稲山でスキーをしてきたとの話がありましたが、どこに魅力を感じてのことなのでしょうか。
まずは雪質ですね。スキーに適した、世界から見ても最上級のパウダースノーです。その雪質が2月くらいまで長く楽しめるのも特徴です。
また、コースの多様さも素晴らしいです。「ハの字滑り」さえできれば初めてスキーをやる人でも、緩やかなコースを通って山頂から滑れるんです。これも他のスキー場にはなかなかありません。
ところで最近では、体が不自由な方でもスキーができる器具が開発されているんですよ。手稲山を拠点とする次男(三浦豪太(ごうた)さん)のスキースクールでも導入を進めているところです。僕も乗りました。より多くの人が手稲山でスキーを楽しめる機会を得るということなので、これからが楽しみです。
あとは何と言っても、山頂からの眺めが一番の魅力ですね。

・山頂からの眺めの、どのようなところが具体的に好きですか。
スケールの大きさです。人口200万都市の札幌が眼下にあって、平野も海も見渡せる、最も北海道らしい光景だと思います。天気の良い日は利尻富士まで見えるんですよ。これほどスケールの大きな山頂からの景色を楽しめる山は、日本でも数えるほどです。

■〝最終的な目標は100歳になってもエベレストに登ることです〞
・三浦さんの長年にわたる活躍の原動力は、何でしょうか。
常に目標を立てて、その目標を都度思い浮かべることです。病気をしたときは、東京オリンピックで聖火ランナーをやることが決まっていたので、歩けるようになって聖火をつなぐぞ、という目標でした。次は冬にスキーをするという目標、さらにその次は手稲山に登山をするという目標。これらを順に達成してきて、今は富士山登山が目標です。

・富士山の次の目標も決めているのですか。
達成してからまた考えます。最終的な目標は100歳になってもエベレストに登ることです。

・手稲区民に向けて、コメントをお願いします!
親善大使として手稲山の魅力をアピールしていけることを、うれしく光栄に思います。区民の皆さんにも、改めて手稲山の良さを感じてほしいです。そしてぜひ、一度で良いから、手稲山の山頂からの景色を、その目で見てみてほしいです。

問合せ:総務企画課広聴係
【電話】681-2432

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