■箱館戦争上陸の地
1868年から始まる箱館戦争では、江戸を脱出した榎本武揚が北海道で幕府の再興を図るため、将士3,000人を引き連れて鷲ノ木村に上陸します。今回は榎本武揚がなぜ鷲ノ木村を上陸の地としたのか、榎本が残した記録からその理由をご紹介します。
一つ目は箱館に海外からの居住者が大勢いたことです。欧米各国と結んだ条約により箱館には海外の人たちが訪れるようになっていました。そのため、幕府の軍艦が接近してしまうと北海道に来たことが察知されてしまうだけではなく、砲撃される恐れもあり国際的な戦争に発展してしまう危険性がありました。
二つ目は、新政府軍から侵攻される危険性が少なかったことです。榎本は新政府側が日本海側から攻めてくることを予見していましたが、鷲ノ木周辺は西側に険しい山々が連なっていたため、山を越えて攻撃される可能性は低いと判断していました。
三つ目は、噴火湾が冬でも比較的穏やかな海であると見込んでいたことです。旧幕府軍の本隊が鷲ノ木に上陸した旧暦10月20日は新暦で12月3日になります。すでに寒さの厳しい時期であり接岸の困難な場所が多く、内湾である噴火湾は波がそこまで立たず船が入りやすい環境だと考えていました。しかし、軍艦を停められる港がなかったことから小舟に乗り換えて上陸した際に、風に煽られていくつかの小舟は転覆してしまったようです。
このような理由から、榎本武揚は鷲ノ木を上陸地に選び、五稜郭に向けて進軍を開始します。現在、上陸場所と推測される桂川の河口付近には旧幕府軍上陸地を示す看板が設置されています。森町の街並みと駒ヶ岳を一望できる場所ですので、ぜひ足を運んでみてください。
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