■医師・村岡格森への赴任、そして開業~村岡文庫資料から~
明治から大正にかけ森村(当時)で医師を務めた村岡格は経済人、文化人としても活躍し村の発展に寄与した人物です。今回は、親族より寄贈された『村岡文庫』資料をもとに、森への赴任から医院開業のエピソードをご紹介します。
村岡格が第九公立病院(後の森病院)へ赴任したのは明治14年5月の事。それは村民達ての望みであったといいます。前任者はあまり診療に熱心ではなく不親切、次第に村民の足は遠のいて患者は減る一方。設立後わずか半年で病院の運営は行き詰まりました。そこで兼て出張診察で訪れ、森村民から信望を集めていた村岡格に白羽の矢が立ったのです。
赴任した村岡格は直ちに病院を立て直したようで、翌年に監督へ、そして3年後に病院長へと昇進しますが、赴任から9年後の明治23年5月、突然「辞職願」を開拓使に提出します。理由は持病の治療に専念したいというものでした。早速村民からは“引留るべき”との声が上がり、村の重鎮たちは復職を求める「請願書」を開拓使へ提出します。そこには、村岡格の医師・経営者としての手腕を高く評価して、退職は村にとって大きな損失となる、辞表が受理されたのなら復職させるべき、といった趣旨が記されていました。しかし辞表は受理され同月に退職してしまうのですが、一転して2か月後に森村で医院を開業することとなるのです。果たして退職の理由は療養のためだったのか?医院開業は村民からの慰留を受けたからだったのか?真相は不明ですが、理由はどうあれ森村に残ることとなった村岡格は、その後多方面で活躍することとなるのです。(「辞職願」、「請願書」は『村岡文庫』所収)さて今回ご紹介した『村岡文庫』は整理作業のため一般公開をしておりませんが、医療器具等の一部については森町公民館2階の郷土資料室で展示しています。
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