本市の協力隊が3名となったため、今回から交代で各隊員の記事を掲載します。今回は、石井泰紀(いしいやすのり)隊員の初投稿記事をご覧ください。
神威錦ヶ岡の道を4キロほど上砂川に向かった山奥の沢に「新歌志内地区(以下「新歌」と呼びます)」がありました。
昭和27年には2529人が住んでいた「新歌」が、無人集落となり半世紀以上のときがたちましたが「新歌」には、謎を秘めた不思議な魅力があります。
今年の市民祭りの日、郷土館で「新歌」出身の方に出会い、思い出を聞きました。
「私は昭和23年に「新歌」で生まれました。昭和28年に住友新歌砿の閉山で「新歌」を離れました。同じ住友炭鉱のある赤平に引っ越しました。生まれて初めて自動車に乗りました。引っ越しトラックの荷台にです。「新歌」で生まれ育ったので「新歌」だけしか知りませんでした。「新歌」のマチだけが幼い私の世界でした。だから、大きくて立派な赤平のマチを初めて見たときは驚きました」
人は、何かを失くした記憶があるから懐かしい気持ちでいっぱいになり、再び見つけたときには、とてもうれしくなります。失われた「新歌」が懐かしいのは、忘れられない記憶があるからです。そんな歌志内の懐かしい記憶を大切につむいでいきたいです。
〔地域おこし協力隊 石井(泰)〕
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