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ふるさとの記憶〔第10号〕

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北海道江差町

東京江差会 林上 京子(旧姓:矢田)さん
(千葉県松戸市 79歳・江差町字中歌町出身)

■終戦前夜、一家で東京から移住
私の家族は昭和19年、一家5人で東京から江差に移住してきました。
私が生まれて間もない頃で、青函連絡船の中で母のお乳を飲んでの大変な旅だったそうです。上の姉弟は小学生でした。4歳の頃の記憶では、上町の橋本町の旧家に間借りしていて、父は実家のある弘前からリンゴを取り寄せて卸す仕事をしていたようです。港の倉庫にリンゴ箱が一杯積んであって、もみ殻の中からリンゴを取り出している光景を覚えています。

■馬坂の下の中歌町とお祭りの思い出
小学校に入る頃には、下町の中歌町に移っていました。今度は借地ではありましたが、一軒家でした。馬坂を下りた角の海側で、函館バスの大きな出張所があり、バスがひっきりなしに出入りしていて活気がありました。そこでは父はお菓子や果物などの小売から始めて、そのうちバスの乗客を当て込んでのうどんやラーメンを食べさせる食堂を営んでいました。
小学校のお友達に姥神神社の娘さんがいたので、神社の境内でよく遊びました。結婚式がある時は友達に誘われて、式の様子や境内での花嫁さん達の行列を観たりしたものです。
でもこの時代の思い出と言えば何と言っても姥神神社のお祭りです。夏が近づくと町のあちこちでお囃子の稽古が始まります。その音色はまるで海の向こうから響いてくるように感じました。お祭りの3日間はわが家から神社までの通りに沢山の出店が並んでいて、少しのお小遣いを掴んで見て回るのが楽しみでした。
お祭りに各町から繰り出す山車は、どれも素晴らしいものでしたが、中歌町の山車は恵比寿様なのがちょっと不満でした。他の町の山車は、水戸黄門とか大石内蔵助とか映画に出てくるような勇ましい人形なのに、恵比寿様はただニコニコしているだけだったからです。でも、この恵比寿様の人形は、京都の有名な人形師が作ったもので重要な文化財であることを後で知りました。また、恵比寿様は海の安全と大漁を祈る大切な神様で古代から敬われていたことも知りました。漁業の町江差にとっては大事な山車だったのですね。

■江差が開かれて100周年の記念イベント
小学校3年生頃だと思いますが、江差の歴史が始まってから100年になるということで、記念行事が町を挙げて大々的に行われたという記憶があります。
父が商店主の団体に関わっていたので、その準備に熱心に取り組んでいました。その時に「江差の五月は江戸にもない」というフレーズが盛んに使われていました。
いま振り返ると、江差は本当に豊かな歴史と文化がある町なのですね。江差から離れて60年経ったいま、北前船や能登地方との関わりなどを調べている今日このごろです。

★次回(第11号)の掲載は6月号。どなたのどんなお話がきけるかお楽しみに!

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