平成29年4月28日、町が申請し、北海道第1号で日本遺産に認定されたストーリーです。令和5年度には再審査を受け、条件付きで認定されています。次に掲載しているものがストーリーの概要になります。
江差の海岸線に沿った段丘の下側を通っている町並みの表通りに、切妻屋根(きりづまやね)の建物が立ち並び、暖簾(のれん)・看板・壁にはその家ごとの屋号(やごう)が掲げられている。緩やかに海側へ下っている地形にあわせて蔵が階段状に連なり、海と共に生きてきた地域であることがうかがえる。
この町並みは、江戸時代から明治時代にかけてのニシン漁とその加工品の交易によって形成されたもので、その様は「江差の五月は江戸にもない」と謳われるほどであった。
ニシンによる繁栄は、江戸時代から伝承されている文化とともに、今でもこの地域に色濃く連綿と息づいている。
■系群による違い
ニシンは産卵場や産卵期、回遊範囲などが異なる多くの系群に分けられ、北海道周辺では主に北海道・サハリン系群と石狩湾系群が占めています。
〔北海道・サハリン系群〕
尾叉長(びさちょう)※は4歳で29cmとなり、成長の良いものは3歳で成熟するが、大部分は4歳で成熟する。産卵期は3月下旬から6月中旬。雌の抱卵数(ほうらんすう)は、ほぼ年齢に1万をかけた数。
〔石狩湾系群〕
尾叉長は4歳以上で30cmとなり、北海道・サハリン系群に比べて成長が速い。多くの個体は1歳で成熟し、2歳直前に初めて産卵する。産卵期は1月下旬から5月上旬。抱卵数は1歳で3万1,000粒、2歳で4万6,000粒、3歳以上で6万6,000粒以上。
出展:田中信幸(2003)「ニシン」水島・鳥澤(監修)「新 北のさかなたち」北海道新聞社
※尾叉長=上あごの先端から尾びれが中央部の凹みの外縁まで
■ニシン調査の歴史について
平成21から25年までの調査により、これとは別の檜山集団と呼称した集団が確認され、平成24年調査により、津軽海峡の渡島西部側への分布の可能性も示唆されたことから、「檜山・津軽海峡集団」も確認されています。
出展:地方独立行政法人北海道立総合研究機構中央水産試験場事業報告書(瀧谷明朗、星野登2014)
町が行っている4月から5月のニシン漁獲試験事業により漁獲されたニシンを検体として北海道立総合研究機構に提供し、研究が進められていますが、これらの研究により、江差町には1月から3月にかけて石狩湾系群が来遊し、3月から5月頃に檜山・津軽海峡集団が来遊している可能性が示唆されています。
■檜山の栽培漁業の取り組み
ニシン資源の復興を目指す「檜山管内水産振興対策協議会(事務局:ひやま漁業協同組合)」では、ニシン稚魚放流を平成21年に開始しました。
平成28年からは地場産ニシンを活用し、檜山管内100万尾放流を行っています。
(1)1月から3月、漁獲された江差産ニシンを活用し、採卵作業を行い、採卵後は北海道栽培漁業振興公社瀬棚事業所へ運搬します
(2)北海道栽培漁業振興公社瀬棚事業所でふ化・飼育します
(3)5月下旬から6月上旬頃、構成町に稚魚を配布し、檜山管内100万尾放流を行っています
※左グラフ○=江差町で群来が確認された年
栽培漁業の取り組みを継続した結果、群来も確認されるようになり、江差町では平成28年は1トンにも満たなかった漁獲量が、平成30年には約3トン、令和2年には6トンを超え、令和5年には約18トンまで増加しています。
同時に資源管理も行っているため、町内流通は安定していない面もありますが、町内の店舗やスーパーで地元産のニシンを目にすることも多くなってきたのではないでしょうか。今後は、ニシンを活用した商品開発など、付加価値向上、ブランド力の向上が課題となります。
今月からニシン刺し網漁業が開始されます。今年もニシンの豊漁に期待がかかります。江差町はニシン漁とその交易により繁栄しました。ニシン資源が増大した今、町並みや文化、ニシンによる繁栄を体感し、ニシン文化に紐づく町であること、日本遺産に認定されていることを再認識してみてはいかがでしょうか。
※詳しくは本紙をご覧ください。
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