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鰊御殿とまり ごてん 令和5年10月号

11/21

北海道泊村

■幸運の鐘
鰊御殿とまり館長 増川佳子

お盆が過ぎても30度を超える酷暑が続きましたが、9月に入り、ひと雨ごとに朝夕の風に冷たさを感じるようになりました。暑さに疲れた体がほっとしたのもつかの間、彼岸が過ぎ、あっという間に冬支度を始める季節になりました。
さて昨年、『鰊御殿とまり』の開館準備の時に、“モントゴメリーの鐘”に再会しました。私が卒業した木造の泊小学校の体育館に吊り下げてあった鐘。授業や休み時間の終りの合図に鳴らした鐘。鳴らす係に憧れた鐘。当時は茶色の光沢のある鐘だったように思うのですが、今は風格のある緑色。(真鍮でできているのでしょうか)「鰊御殿にいたの?小学校卒業以来だから、約50年ぶりだね。」と再会を喜び、早速、鰊番屋と客殿をつなぐ渡り廊下に設置し直しました。番屋の薄暗い中から陽の光の当たる場所への移動です。
渡り廊下を通るお客様が、結構鳴らしていきます。海を臨んで佇む鐘も「鳴らしてくれて、気にかけてくれてありがとう」と思っているかなあと勝手に想像しています。

この“モントゴメリーの鐘”の脇に貼っている説明文には
資料によると、この鐘は明治40年頃に同村臼別に住む川元豊作氏が海中から拾い上げ、大正の初め頃に泊小学校に寄付しています。
鐘に刻まれているスペルから名付けられたこの鐘は当初、拾われる20年ほど前に臼別沖で沈んだアメリカ船の船鐘といわれていました(事故があった臼別沖の岩礁はそれ以来、“アメリカソリ”【ソリとは漁師言葉で岩礁に当たって砕け落ちる波の形容をいう】の名がつき、今もその名で呼ばれる海の危険区域となっている)が、その後の調査でイギリス船のものであり、その船は明治16年青森沖で遭難していました。青森で沈んだ船鐘がどうして泊村沖で拾えたのかという疑問の中、今度は明治29年に岩内の浜に打ち上げられた船のものでは、といった説も出て、依然、謎は深まっています。
と書かれています。

今でもどんな経緯で臼別沖に流れついたのか謎のままですが、広い広い海の中で偶然に見つけられ拾い上げられ、小学校に寄付されて何世代もの子供たちに愛され、今も『鰊御殿とまり』に来られたお客様に可愛がられている“幸運な鐘”であることには間違いありません。船鐘独特の澄んだ心地よい音色の鐘です。“幸運祈願”にモントゴメリーの鐘を鳴らしてみるのもいいかもしれませんよ。

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