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鰊御殿とまり ごてん 令和5年8月号

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北海道泊村

■奇跡の建物
鰊御殿とまり館長 増川佳子

7月10日の泊稲荷神社のお祭りを最後に村内全ての神社が祭典を終えました。(『鰊御殿とまり』にも御神輿が来てくれました。)しばらくぶりに聞こえてくる“泊のお祭りの声音”に子どものようにワクワクさせてもらいました。お祭りが終わると泊村は本格的な夏。「岩内の山の雪がなくならないと泳いじゃダメ。」早く海に泳ぎに行きたい昭和の子どもたちは大人たちにそう諭されました。山の雪が見えなくなったカンカン照りの暑い日、「さあ、泳げるぞ。」と水着を着て、海中メガネとタオルを持って一目散に海まで走った子どもの頃を思い出します。
私が子どもの頃、川村家鰊番屋は公民館でした。めったに入ることのない建物でしたが、文化の日に合わせた作品展などがあった時に入ったぼんやりとした記憶があります。「修復したんですね。こういう建物はあまり手を加えない方がいいんだよ。」と来館者の方が話されることがあります。文化財の価値としてはそうなのでしょう。でもこの川村さんの鰊番屋が今ここに残っていることは奇跡のような変遷の歴史があるからなのです。
明治27年、初代川村慶次郎から家督を継いだ三代目慶次郎の鰊番屋は建立されました。鰊漁が盛んな頃には最大2ケ統60名ほどの出稼ぎ漁夫達が3月から5月にかけて滞在していました。大正後期になると鰊の大群が泊の海岸に寄らない年が増えてきました。慶次郎は大正の終わり頃に漁業を止めました。使われなくなった鰊番屋は、昭和に入り病院の建物として、終戦後は引揚者の住宅として、その後泊漁港修築事務所、公民館、郷土館と変遷しながらたくさんの方に使用され、壊れた箇所を修繕されながら残されました。そして、武井邸客殿・石蔵とつながり平成13年『鰊御殿とまり』として生まれ変わりました。慶次郎が番屋を手放してから約100年。どこかの時期に利用されなくなっていたら現存できていなかった奇跡の建物です。(鰊漁最盛期、泊村には鰊番屋が50軒ほどもあったそうですが、村内に現存しているものはここ1軒しかありません。)また、郷土館として使用されていた期間があったからこそ、村内各家に眠っていた貴重な道具や資料(約2000点)が集められ“大正から昭和にかけての生活を思い描ける”唯一無二の魅力的な鰊番屋となりました。
『鰊御殿とまり』の価値は外観を見るだけでは伝わりません。泊の鰊番屋は“そんじょそこら”の鰊番屋とはちょっと違うことをたくさんの方に体感していただきたいと願っています。

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