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鰊御殿とまり ごてん 令和6年2月号

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北海道泊村

■春を待つ準備
鰊御殿とまり館長 増川佳子

お正月が終わった途端にやってきた大雪。一晩で膝まで積もった雪はママさんダンプでは手に負えず、除雪機に助けてもらいました。除雪機に雪をとばしてもらって広々した家の前を見ながら、子どもの頃は、スコップで雪をかいて、やっと人が通れるくらいの道をつけていたのを思い出しました。“子どもの頃の方が雪は降っていた”という感覚も家の周りに積もり放題だった雪の記憶があるからかもしれません。もう一つ“子どもの頃の冬”で思い出すものに寒海苔があります。冬の冷たい岩場から摘み取ってきた籠いっぱいの寒海苔は、石取りをし、包丁でたたいて細かくし、何度も洗い、和紙を漉くように簾に貼り付け、物置や家の鴨居にぶら下げられました。母の真っ赤になった手と干された海苔の匂い。所々に穴の空いた海苔ですが、焼いた後の香ばしい海の香りは白米を絶品のおにぎりにしました。
さて、『にしん漁場の作業暦』によると、12月から1月にかけて漁夫契約の時期だったようです。雇用契約には船頭が当たることが多く、募集取扱人としての証明書が発行されました。募集取扱人の船頭は親方の信用を得ると長年にわたって雇用され、漁夫を募集するのに便利なように船頭の居住している近くが募集区域になることが多かったといいます。
このように同郷の漁夫達が集まることによって、大船頭・船頭を中心として、仲間同士の意思疎通や深い信頼関係の中で厳しい作業に立ち向かうことができたのかもしれません。
また、『泊神社史』(昭和31年発行)に鰊漁全盛期の“鰊場の思い出の記—古老談集録-”がありました。毎年2月の末頃になると、雇用契約を結んだ津軽・秋田地方の若い衆が土産を持参でやって来たようです。

親方と称される建網業主は、刺し子(※1)の上に毛皮の法被を着て一同が来るのを待っている。これら親方たちは、先代から受けた漁場や道具を使ってやる者、…空手無資本の中から現在を築き上げた者等で、心待ちに来る年の鰊の成功を期待して、この若者等を迎えた。…大正初年頃の若者の服装は、木綿ツッポウ(※2)に白三尺帯を締め、無尻外套を着て下駄を履いていた。見廻り品を入れた竹の行李を肩に振り分け荷物として、元気よくやって来る。…

(※1)刺し子:布地に糸で幾何学模様等の図柄を刺繍して縫い込んだもの。保温・補強等のため麻布や木綿布に木綿糸で補強したものが始まり。特に東北地方に伝わる刺し子は有名。
(※2)ツッポウ:筒袖と同じ。たもとがなくて筒のような形をしたそでがついた着物。

冬の北海道日本海の深い雪、突き刺す吹雪、冷たく荒れ狂う波に耐え、春の兆しを感じ始める2月に、かつて多くの若者が夢を抱いて泊村に集いました。若者達の活気と賑わいは春を迎える準備の総仕上げだったかもしれません。
あと1ヵ月もすれば、3月弥生。泊村にも暖かい春が来ます。

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