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鰊御殿とまり ごてん 令和6年3月号

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北海道泊村

■漁夫の名前の秘密鰊御殿
とまり館長 増川 佳子

“暖冬で降水量は平年並み。大雪に見舞われることがある”という長期予報通り、重たい雪がかなり降った冬でした。しかし、節分・立春を過ぎた頃から積雪の高さがどんどん減ってきて、『お陽様の力ってすごいなあ。』とあらためて感じてしまいました。海の色も風の匂いも少しずつ変わり、春の到来が待ち遠しい毎日です。さて、鰊漁が盛んに行われていた頃、3月末に“網おろし”の祝いが行われていたことは以前にご紹介しました。その際、大船頭から発表されるのが“番付”。誰がどんな役職なのか漁夫たちに周知するために行われました。建網漁は、海の上での危険な作業であり、時化にならないうちに鰊を手早く陸に揚げなければならなかったので、上下の役割(指示系統)をはっきり決めていたようです。この番付は、板に記され土間の上などに掲げられていました。『鰊御殿とまり』の川村家番屋にも“番付板”があります。まだ新米館長だった頃、そこに記されているたくさんの名前は全て実在した方のものだと思っていました。ところがある日、お客様に“番付板”について説明をすると、じっと見入っていたその方が「あっ、多羅尾伴内だ。」と言ってびっくりされ、「ほら、そこに書いてあるでしょ。」と板を指しました。“多羅尾伴内”について何も知らなかった私ですが、漁夫にこんな粋な名前の方はいないよなと思い、『番付板の名前は作り物なんだろうな。大船頭の“秋山石松”も格好良すぎかな』と思ってしまいました。

時が過ぎ昨年の閉館間際、新米でなくなった館長は武井邸石蔵の展示品の中に新たな真実を発見しました。武井忠吉・武井忠次郎親子が鰊を追って樺太漁場を経営していた頃の雇い人名簿に“大船頭秋山石松”を発見したのです。“秋山石松”さんは、川村家の大船頭ではなかったのですが、武井家の大船頭として実在していた人だったようです。格好いい名前も本物。『鰊御殿とまり』の復元に関わった方の粋な計らいに感動をおぼえました。ちなみに“多羅尾伴内”とは、昭和の頃に映画やテレビドラマや劇画になったミステリーの主人公である探偵の名前です。クライマックスの名台詞に「ある時は○○、またある時は××、しかしその実体は…(ここで名乗りを上げる)」は多くのファンによって模倣されたようですが、ご存じの方はいらっしゃるでしょうか。

1月13日に『コキアでほうきづくり』の体験活動を行いました。臼別の小川さんが「畑に植えたコキアを使って、ほうきを作る体験をしてみたらどうでしょうか。」と声をかけてくださり、実現しました。8組の親子と一般の方数名に参加いただき、1時間ほどでほうきが完成しました。暖かくなりましたら、一般の方向けにもう1度開催しようと考えています。その際は、ぜひ参加をお願いします。

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