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鰊御殿とまり ごてん 令和6年9月号

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北海道泊村

■拍子木の音
鰊御殿とまり館長 増川 佳子

お盆が過ぎ、学校の夏休みもウニ漁も終わり、秋に少し近づきました。暑さと一緒に、夏の賑わいでフワフワしていた気持も落ち着いてきたように思います。この夏には岩内西小学校5年生や伊方町子供親善大使の皆様が『鰊御殿とまり』を見学に来てくださいました。11~12歳頃の子どもたちにとって、100年以上も前の話は想像することもできないくらい遠い昔のことだということに気づかされます。電気や機械や大型トラック等がない生活はもちろん、床の間・仏壇・縁側を知らなかったりします。展示している様々な生活用品もはじめて目にするものが多いようです。
昔の不便な道具や生活は子どもたちには興味を持たれるものではないですが、不便な中で精一杯工夫を凝らして生きてきた先人の努力は感じてほしいなあと思います。
さて、故郷で生活するようになって、子どもの頃のぼんやりとしたとぎれとぎれの記憶が、何かのきっかけで鮮明になることがあります。
川村家鰊番屋の台所脇の柱に“拍子木”がぶら下げられています。当時ご飯支度が終ると“飯炊き”のお姉さんが“拍子木”を打って知らせたそうです。どんなリズムで打ったのかななどと余計な想像をしてしまいます。カンカン、カンカンでしょうか、カンカンカンカンでしょうか。拍子木の少し高い響きを待ち遠しく思っていた腹ぺこ漁夫さんがいたはずです。

◇漁夫たちの食事
主食は、白米飯が普通で食べ放題でした。副食は一汁一菜に漬物が基本で、朝は、大根、ふき、青菜や豆腐などの味噌汁。昼・夕は塩鰊に野菜を加えた三平汁。他に漁獲後は焼き鰊も添えられました。漬物は干し鰊と大根を混漬した鰊漬を主体に菜漬なども出されました。
食事は朝5時、昼10時、夕刻3時の三度を基本に、漁期になり沖掛かりになると夜食も取られ、それには鰊に混ざって漁獲された魚も出されました。
資料~「開けゆく大地」よ

この拍子木の音を聞くと子どもの頃に「火の用心(カンカン)マッチ一本火事のもと(カンカン)…」と、拍子木を打ちながら近所を回っていたことを思い出します。子ども会のお仕事だったはずです。近所の子たちと固まってちょっと恥ずかしいけど精一杯の大きな声を出して夕暮れの道を歩きました。役に立っていたのかどうなのか、使命感があったのか惰性だったのかはっきりしないのですが、今思えば、地域の中に子どもたちの活躍の場所があったことは有難いことでした。

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