■浦臼に坂本龍馬の甥の住宅があったのを知ってますか?
坂本龍馬の甥である坂本直寛が浦臼に住んでいたことはご存知の方も多いと思います。直寛は明治31年、46歳の時に高知から浦臼に移住しました。浦臼でキリスト教の布教活動などを精力的に行いましたが、その経歴や活動については書籍等で紹介されているので、ここでは坂本直寛邸について紹介します。
浦臼町史には次のように書かれています。「浦臼沼北岸の小高い森の一隅に、ロシヤ風の角材を組んで積み重ねた二階建が直寛の住居であった。大きな家ではないが、きちんとした日本座敷もあって当時の住家としては浦臼第一と言われた。珍しい建物なので残されていたが、昭和三十九年頃、石狩川の治水工事でとりこわされた。」
所在地は現在の浦臼第6町内で、浦臼沼のそばに説明板が立てられています。
■変わった校倉造りの住宅
写真を見ると木材を直交させて積み上げ、洋風の上げ下げ窓が付いています。建坪60平方メートル程度の総2階建ての立派な邸宅です。基礎が地面より1m近く立ち上がっていますが、たびたび石狩川が氾濫する土地ゆえの対策でしょう。
構造的な特徴は、校倉(あぜくら)造りのように木材を積み上げているところにありますが、正倉院やログハウスでは木材が交差する箇所で木材の上下面を欠き込んで噛み合うようにしますが、直寛邸では木材を欠き込むことなく積み上げる変わった構造になっています。
■解体材が保管されています
実は、町内の今田建設さんの倉庫に解体材の一部が保存されています。これを見ると構造の詳細が分かります。木材は厚さ13.5~15cm、高さ27~28cmの大きな材です。積み上げた木材が一体になるように、縦方向にボルトを通して締め付けるようになっているので、相当に強固な造りだったと想像します。
木材の厚さがこれだけあると、現代の断熱材50mm相当程度の断熱性能があったと思われます。また、写真を見ると木材の間に漆喰のようなものが挟まっているので、これで隙間風を防いだと思われます。
明治時代にこれだけ大きな製材を大量にどうやって集めたかや、たいへん珍しい構造なので、何を手本として建てたかなど、分からないこともあります。
保管材は坂本直寛邸の創建から125年を経た貴重なものなので、有効に保存活用されることを期待します。
札幌市立大学で教員してます西川忠です。この活動を始める前は、浦臼に坂本龍馬の甥の住宅があったことは知りませんでした。明治期にこれだけの住宅を建てたことは驚きですし、解体材が残されていたのも驚きでした。町の財産として活かせると良いですね。
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