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由仁町今昔物語(明治編)その二 不定期連載

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北海道由仁町

今回は11月号に続き2回目の掲載、明治編その二です。

■札幌興農園(五番館の前身)
小川二郎(島根県出身…札幌農学校第11期生)
1888年(明治21年)由仁町岩内に133ヘクタールの未開地を払い受ける。
1891年(明治24年)小川二郎の兄、小川力夫妻が雇人、小作人を伴い岩内に入植。
1893年(明治26年)卒業と同時に兄の住む岩内に来て開墾に従事。
1894年(明治27年)農産種苗器械の輸入生産販売を目的に札幌興農園(札幌市中央区南2西1)を開業する。
1906年(明治39年)北4条西3丁目に北海道初のデパートとなるレンガ造りの店舗「五番館興農園」を開業する。デパート経営を思い立ったのは、興農園の従業員たちに冬も職を与えようとしたものである。札幌大通公園は、1901年(明治34年)から植樹や散策する場所として整備が進められていたが、2人の由仁町ゆかりの人物が大通に花壇を造成している。
1907年(明治40年)小川二郎が自費を投じて、現在の大通公園西2~4丁目に花壇と芝生を造成した。
1915年(大正4年)藻岩山の麓で100種類以上の花を育てていた「札幌洋翠園」の戸部佶(ただし)(現在の日本食品製造合資会社の創業者)が、札幌区長に花壇造成を提案したが、予算がなかったことから自費を投じ大通西3、4丁目に花壇を造成し、その後札幌区に移管された。現在、札幌を代表する観光地となっている大通公園のルーツに、由仁町ゆかりの2人が大きく携わっている。
1893年(明治26年)岩内阿部マッチ製軸所操業由仁長沼間「由仁道路」の工事中に工事人が馬追鉱泉(現在の馬追地区宇野宅付近)を発見する。
1894年(明治27年)火山灰採取や木材の搬出のための駅として、川端駅が設置された。
1897年(明治30年)岩内亀淵、岩崎、澱粉工場操業岩内高倉マッチ軸工場運転開始由仁神社、社殿、由仁市街西方、高台(消防団第1分団由仁付近)に新築移転する。
1898年(明治31年)岩内増岡マッチ軸工場で水害死傷者出る。(死者34名)
1898年(明治31年)三川写真右側標識、岡本農場と読み取れる。

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