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由仁町今昔物語 明治編その三 不定期連載

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北海道由仁町

今回は、明治時代の由仁町と長沼町の境界についての話です。

■1899年(明治32年)
由仁村と長沼村の境界はヤリケナイ川(現ヤリキレナイ川)だったが、道告示183号により最北端の境川に境界が変更となった。ヤリケナイ川以北の馬追原野、山形団体等由仁地域に入る。(由仁町史下巻87)
当時のヤリケナイ川は、由仁市街地は現在とほぼ同じ線形で由仁2区の信号交差点の少し北側から東方に曲がり、鉄道を横断し現在の由仁1区北栄団地付近を経て由仁川に注いでいた。
それまで、長沼村だったヤリケナイ川北側の由仁2区の一部や山形地区が由仁村に編入された。
※1919年(大正8年)
この年にも由仁村と長沼村の村界変更があった。

■1904年(明治37年)
明治32年、ヤリキレナイ川の北側が村界変更により長沼村から由仁村に編入後、消防第1分団付近にあった由仁神社が明治37年に現在地に移転した。(建坪7坪)
その年以来、参道両脇に杉・内地松・桜などを植栽し、池と相撲場を作り、忠魂碑と広場を設け、神社境内は鎮守の森として町民と共に歩んできた。

※由仁町ホームページでは、カラーで見ることができ、図面を拡大することもできます。

問合せ:地域活性課地域活性担当
【電話】0123-83-2112

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