雨石雷公神社に伝わる『大野土佐日記』によると雷公神社の祖、大野了徳院は、亡くなる際に「干魃(かんばつ)の年には雨を降らすから川のほとりに埋葬するように」と言い残します。川の水が少ないと当時貴重な食料である鮭が遡上(そじょう)しないのです。その言葉に従い了徳院が亡くなると川のほとりに埋葬し、塚石を安置し松を植えました。文応元年(1260)年のこととされています。
その後のある年、日照りが続き、困った村人が了徳院様にお願いしようとその塚石を川に沈めて祈ったところ、大粒の雨が降って川の水が増し、鮭も遡って人々を安心させたのです。その塚石は雨石様のご神体として、祠をつくり大切に祀られてきた、というのが雨石のいわれです。雨石社は明治時代に雷公神社に合祀されました。
雨石は大きさは約30センチ程度の少し角ばった円筒形で、背丈は約45センチ程の茶褐色をしています。
さて、この雨石ですが、昭和60年ごろに同じように鮭の遡上が少なかったとき、実際に川に沈めて祈祷を行ったそうです。するとその翌日に雨が降り出し、鮭の遡上が始まりました。まさに伝承の通り霊験あらたか、なのですが、川の水が増えすぎて鮭がウライを越えてしまった、というオチがついたそうです。
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