■ハギチャリ合戦
幕末から明治にかけて人気のある人物の一人に土方歳三がいます。箱館戦争で奮戦し、五稜郭での戦いで最期を迎えるのですが、その前に知内に滞在していた記録が残っています。
明治元年(1868)蝦夷地に渡り五稜郭を占拠した旧幕府軍は、松前藩攻略のため軍を進め、11月1日(新暦12月14日)、知内の村中(今の元町)に泊まっていました。一方、松前藩は福嶋村から小舟三艘(そう)で小谷石に上陸、間道を抜けて旧幕府軍へ夜襲をかけます。村に火を放ち補給路を断とうとしますが、土方は諸軍を指揮して奮戦しこれを退けました。この時先鋒として萩茶里(今の湯ノ里)まで進んでいた額兵(がくへい)隊の星忠狂(ただのり)(恂太郎)は、知内が燃えているのをみて応援を向かわせました。
この夜襲はハギチャリ合戦と呼ばれ、松前方面での戦いの口火となりました。その後旧幕府軍は松前を攻略し蝦夷地を平定します。
一方翌年新政府軍も反撃を開始。乙部から上陸し旧幕府軍を函館まで追いやります。途中知内で再度戦闘が行われ、住民は荒神神社の森に隠れて難を逃れたと言われ、旧幕府軍の死者や馬は現在の頃内橋付近に埋葬されたと言います。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>