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しりうち小噺(こばなし)

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北海道知内町

■鮪之塚涌元漁港を望む高台の上に「鮪之塚(まぐろのつか)」があります。石には他に「明治二十三年七月施主函館藤野文蔵漁船頭館徳蔵」と刻まれています。
藤野文蔵は函館の竹川林蔵の次男として生まれ、のちに養子に入り藤野姓を名乗ります。函館で会社の支配人をするなどしていましたが、明治20年(1887)、50代半ばで漁業を志し、知内でマグロの大謀網(だいぼうあみ)漁を始めます。徳蔵は初代の船頭です。豊漁に恵まれ、数年で富を築き、文蔵は「鮪大尽(だいじん)」と呼ばれるようになりました。
その頃の涌元はわずか20数戸でした。そこへ岩手や秋田から雇漁夫が年々移住し、増えていきました。飲食店も数軒並び、鮪漁に関わっていれば食べるものに困らなかったそうです。
それ以外にも涌元分教場(今の小学校)が火災で焼失した際、再建のための費用を出したり、造林を行ったりと、漁業以外でもまちの発展のために尽くしました。
文蔵は明治36年に亡くなります。その後次第にマグロは獲れなくなり、藤野家は土地財産を譲り函館に引き揚げました。
この鮪之塚は、鮪の供養、もしくは漁を始めた記念に建てられたと考えられています。

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