■荒神社(あらがみしゃ)
知内公園の丘を登ると小さな社(やしろ)があります。松前藩初代藩主慶広(よしひろ)の四男、数馬介由広(かずまのすけよしひろ)を祀った荒神社です。
慶長19年(1614)、大坂冬の陣に際し、徳川方に味方しようとする慶広と、豊臣方に味方しようとする由広が衝突します。追っ手をかけられた由広は奮戦むなしく二十一歳で自害します。
その後松前城下では日夜雷が鳴り響き、石垣が崩れるなどの異変が数年にわたり続きました。元和4年(1618)、由広の霊が、巫女に託して「成我神其名云雷天荒神」と言わしめます。それを聞いた二代藩主公広(きんひろ)は、供養のため数馬介の脇差をご神体として羽織箱に入れて土中に埋め、雷天荒神社として創建しました。これが現在の荒神社です。また一説には知内の丘の上の栗の枝に、由広自害の時の脇差があった、とも伝えられています。
そして、この神社の側には黒松が植えられています。これは寛永16年(1639)に荒神社が再建される際、仙台藩の伊達政宗に使えていた由広の弟安広(やすひろ)が送ったものと伝えられています。この松の枝は風に逆らい海側に伸びていますが、それは仙台が恋しいからだという伝承があります。
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