■サケのふ化事業
上雷の町内会館あたりの国道から知内川側を見ると、赤い屋根の建物が並んで見えます。サケ・マスふ化場です。
サケは古来より食料など生活に欠かせないもので、知内川はサケの遡上する川として有名でした。
サケの養殖の歴史は古く、捕獲量が著(いちじる)しく減った明治34(1901)年頃から本格的に取り組まれていきます。明治43年には村会の有志議員が「知内村鮭人工ふ化場設置」の動議を提出。同じ年に設置が認可され、実地踏査の結果、河口から約二里半(10キロ)上流の字袋沢(ふくろざわ)(現在の重内頭首工(とうしゅこう)の左岸あたり)が最適地とされます。ところが昭和19(1944)年に雪崩によりふ化室が倒壊し、この場所での事業継続を断念します。
その後適地を探し、昭和24年、頃内川下流の旧役場庁舎裏にふ化能力500万粒規模で建設。37年まで続きます。
この頃までの養殖事業は自然湧水(ゆうすい)を使ったため水温が低く、様々な方法を試しましたが好成績が上がらず、汲み上げ水を使った施設が50年度に現在地に建てられました。
渡島管内さけ・ます増殖事業協会が道から委託を受け、令和4年度には1000万匹あまりが放流されました。
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