■牛島滕六(とうろく)句碑
小谷石地区の入り口にあるイカリカイ駐車公園の片隅に、小さな石碑が建っています。碑には『草枕宵々に春の月ありて』という句が彫ってあります。この句の作者は牛島滕六という明治から大正にかけて北海道の俳句界の重鎮として活躍した人物です。
牛島は久留米(今の福岡県)の生まれで、明治24年、20歳の時に屯田兵(とんでんへい)として北海道に渡ります。以後郷土俳句の普及と、北方季題を探し出すことに精力を注ぎながら道内各地を回りました。大正10年には藤森氷魚(ひうお)、長谷部虎杖子(こじょうし)らと俳誌『時雨』を創刊しています。
全道を回るなかで知内にもたびたび訪れ、町内の俳人と親交を持ちました。その牛島の功績を讃えるため、涌元の佐藤楽山堂など当時盛んに活動していた俳句結社「乱礁吟社(らんしょうぎんしゃ)」の人々が中心となって句碑の建立を計画。昭和27年5月に涌元小谷石間の海岸道路に建てられました。除幕式には牛島も訪れました。なお牛島滕六はこの年の9月、俳句行脚の途中帯広で85歳で亡くなっています。
碑はその後道路改修のために移設され、現在の場所に建っています。
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