■その102「白樺学園高等学校」(芽室町北伏古東七線十番地一)
芽室歴史探訪会 土岐一雄
昭和三十三(一九五八)年三月、学校法人白樺学園帯広商業高等学校設立の認可を受け、四月に旧帯広図書館分室を仮校舎として開校した。創立者は初代理事長・長原林造氏であった。
校訓は『公徳実践』。その意味するところは、誰から見ても立派だと思える考えを身につけ、社会の人々のために実践していくということである。
同年十一月、白樺十六条西に校舎を新築し移転した。同三十八(一九六三)年、普通科を新設した。更に、同四十(一九六五)年四月、校名を白樺学園高等学校と改称した。校史によると、この昭和四十年代中頃から今日に至るスポーツにおける数々の優秀な成績の始まりは、同四十六(一九七一)年一月の全国高校総体における男子スピードスケートの初優勝にある。
同四十九(一九七四)年、商業科の廃止により同校は普通科のみとなったが、それから約十年後の同五十八(一九八三)年に普通科体育コースを設置したのである。次いで、平成七(一九九五)年九月、現在地(帯広の森運動公園の隣接地)に校舎の移転新築工事を開始、翌同八(一九九六)年に完成し、十二月に全面移転した。
美しい広々とした緑の中の校地には、校舎棟と体育館棟、屋外には野球場や陸上グラウンド等の各種スポーツの諸施設が整備され、校地総面積は九万七千二百四十六平方メートルに及ぶ。
その後、二十有余年、コースの新設や改革を図りながら今日に至っている。
なお、現在は七つのコースが設置されており、私学の特性を生かした高等教育が展開されているが、そのコースとは、難関大学を目指す特進選抜コースと特進アスリートコース、進路を見極める総合コース、専門学校を目指す進学コース、地域への貢献を目指す公務員コース、企業や人々へ貢献するビジネス・マーケティングコース、スポーツを通じて地域活性化を目指すアスリートコースの七つである。
同二十九(二〇一七)年十一月には、創立六十周年記念式典が挙行された。
「芽室の歴史探訪学校篇」は今号をもって終了し、次号からは「神社仏閣篇」を連載いたします。
▽引用・参考文献
「白樺学園高等学校創立五十周年記念誌」創立五十周年記念事業協賛会平成十九年十月二十一日発行
「芽室町百年史」芽室町役場平成十二年発行
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