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このまち大好き!芽室の歴史探訪

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北海道芽室町

■その112「実勝寺」(芽室町東芽室南二線二八番地)
めむろ歴史探訪会 土岐一雄
実勝寺の起源は、明治末に雄馬別の開拓に当たっていた内山孝太郎翁(実勝寺開基内山智耀上人の伯父)までさかのぼる。
この地に、翁と親交のあった法華信者が集まり、法華唱題の声が上がったのである。
大正九(一九二〇)年十月十二日、帯広大正山法華寺の住職内山智耀上人が、現在の東六条三丁目に法華布教所として開教したのが実勝寺の始まりである。
その後、昭和十七(一九四二)年八月、第二世糠谷見誠上人が宗教結社の届出をして知事の認可を得、同二十三(一九四八)年一月二十日、日蓮宗本樹山実勝寺しての寺号公称の認可を受けた。
同三十八(一九六三)年八月、納骨堂を新築したが、本堂や庫裡の老朽化が著しく、また手狭にもなったので、同四十四(一九六九)年十一月にこれら建物の全面的な改築工事に着手し、翌四十五(一九七〇)年六月に竣工した。
この間、同四十(一九六五)年四月に住職糠谷見誠上人が他界したので、その後の代務住職を務めることになった帯広法華寺住職内山智承上人は、幼児教育の重要性を考えて実勝寺境内に幼稚園の設立を計画。同四十三(一九七〇)年開設し、学校法人の認可を受けた。
同四十七(一九七二)年、内山智洋上人が入寺し第三世を継承する。
同五十六(一九八一)年、第三世内山智洋上人が退寺、代わって二男の智修上人が第四世を継承する。
同五十九(一九八四)年一月、寺の移転建立を決定。同六十二(一九八七)年、境内地を学校法人芽室幼稚園へ売却し、現・実勝寺の所在地を取得した。次いで、平成元(一九八九)年、工事が終了し移転を終えた。
同二十六(二〇一四)年、内山智修上人が他界、内山智伸上人が第五世を継承する。
その後、十年、実勝寺では《地域に開かれた生きた寺づくり》を掲げて、夏休みこども道場や人形とおもちゃの供養祭等が、恒例の事業として継続されてきている。

▽引用・参考文献
「開基百年史寶土(ほうど)」開基百年史編集部令和二年八月十六日発行
「芽室町百年史」芽室町役場平成十二年発行

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