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このまち大好き!芽室の歴史探訪

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北海道芽室町

■その103「鳳恵寺」
(芽室町西士狩北四線五十七番地)
芽室歴史探訪会 柳澤正弘

開基住職小山恵超は新潟から明治二十一年渡道、渡島、釧路での寺勤を経て、二十七年帯広村に説教所を開設。本山に敷地を上納して三十一年五月真宗大谷派士武更説教所を開設し、三十二年には私設教育にも当たった。同年十二月、三十四坪の説教所本堂(庫裡兼)の落成、檀徒は七十四戸であった。四十一年に檀徒百六十八戸(内アイヌ六十二戸)を数え、鳳恵寺の寺号が認可される。大正三年開基住職亡き後、佐々木秀俊、中村法運が兼務住職に当たる。
昭和五年大、二世住職に就任する。二十一年、北四線百八番地の北向き本堂では不適当として町有地と交換、現在地に本堂、庫裡を移転し、二十三年に落成法要が執り行われた。四十年、二世が他界。
四十一年、大英が三世住職に就任、五十年に事故で入院、治療に努めたが六十年に亡くなる。その間足寄の證道寺の安藤超が代理を務める。五十五年、会館、庫裡が新築された。
六十一年に英眞が四世住職に就任。平成六年に会館、納骨堂の新築落成。十年六月開教百年慶讃法要が執り行われる。令和五年他界する。
今年、娘の眞優が五世住職に就任の運びにある。

▽引用・参考文献
「芽室町百年史」芽室町役場
「西士狩史」西士狩編集委員会
「西士狩百年史「一世紀」」西士狩開拓百年記念協賛会

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