文字サイズ
自治体の皆さまへ

このまち大好き!芽室の歴史探訪

30/51

北海道芽室町

■その104「法運寺」芽室町西二条三丁目七番地)
芽室歴史探訪会 柳澤正弘
明治三十二年、大谷派芽室説教所が開設され安田俊英が在勤、翌年に集会、説教所兼簡易学校として基線西百四十九番地に十五坪の教場が建設された。次に吉川弘英が着任したが品行悪く半年で免職。その後無住僧となり、荒れ果てた。
中村六三郎(後に法運に改名)は名古屋で生まれ明治三十年、僧籍を得る。三十五年に着任、布教に励む。三十六年結婚、三十七年日露戦争で負傷、十ヶ月の闘病を経て三十八年に帰郷。法務に努めて檀徒は百二十二戸を数え、四十年に本堂の新築に至る。四十二年に真宗大谷派法運寺と公認されて開基住職となる。大正元年に現在地に移転。大正六年、梵鐘鋳造、鐘楼堂の建設、七年に納骨堂、九年、本堂の改築、十一年、庫裡を建てる。落慶法要は十四年に行われた。
法盛は昭和十三年法運の後を継ぎ、二世住職に就任。二十一年、梵鐘の復興をなす。二十七年に納骨堂の建立、四十一年庫裡の改築を成し、自ら境内の環境整備に当たる。四十八年、親鸞聖人生誕八百年、立教開宗七百五十年法要厳修。事故で他界。
法遵、三世住職に就任。五十七年に納骨堂、会館の完成。平成四年本堂の完成。
十一年、開基百年記念法要を営む。二十三年、庫裡を新築する。法曉、二十三年法遵の後を継ぎ、四世住職に就き寺務に励む。

▽引用・参考文献
寺史「開基百年記念」中村法遵
「芽室町百年史」芽室町役場

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU