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このまち大好き!芽室の歴史探訪

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北海道芽室町

■その107「曹洞宗大統寺」(芽室町北芽室北四線十三番地)
めむろ歴史探訪会 後藤正弘
明治初期、十勝川流域に位置する西士狩、美蔓、芽室太は土地平坦にして、しかし、現況は広漠たる未開墾地であった。明治十六年、晩成社によるシブサラ原野の開拓開始を契機に、北海道庁も開発の方針を進めざるを得なく、明治二十五年、北海道に移住方針を持つ団体に対し、一戸当たり一万五千坪(五ヘクタール)の無償払下げ方針を決定。
明治二十九年、十勝原野の殖民地が解除されたこともあって、本州府県からは祖先の土地をあとに十勝へと移住が行われた。入植地では時の経過と共に問題が山積みとなった。その一つが、入植地ではお寺、神社が無いために祖先の供養も収穫感謝の祭りも出来ないことであり、北海道庁が仏教各宗派の本山へ僧侶の派遣要請を行った。
同年、美蔓地区に愛知団体の四十八戸が移住し、その中で曹洞宗の信者達が寺院建立目指して活動を行う。
明治三十二年、説教所が開設。その後、帯広永祥寺長(開基住職一世)織田活道が曹洞宗の教線を拡大し、美蔓説教所を設け、明治四十三年、説教所の公認許可を受けた。
その後、渡部貫道(のち東光寺住職)、大野仏龍(二世住職)など四名の住職が歴任した。
仏龍在職中の大正八年九月、寺号「大統寺」の公称が許可され、大統寺が誕生した。
昭和二年、猪俣蟠龍が三世住職となる。蟠龍は、新潟に生まれ、七才にして仏門に入り、大正五年に渡道、釧路定光寺に安居、住職して入山せり以降黙々として身業説法を続けた。
しかし、昭和四十一年五月四日、蟠龍老師逝去、長男孝順氏四世住職に任命。
孝順氏は芽室高校教諭として二十三年勤務し、住職としては、本堂、納骨堂、庫裡、会館等新改築、環境整備に力を入れた。
平成二十一年、副住職の齋藤義秀が第五世の住職に就任し、現在に至る。
四十三年間住職を務めた孝順氏は東堂に就任した。

▽引用・参考文献
開基百年美蔓史美蔓沿革史芽室の歴史探訪歴史探訪会編

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