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自治体の皆さまへ

みやちゃんくりちゃんの日高山脈情報局Vol.7

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北海道芽室町

■どんなコーナー?
役場職員2人が、日高山脈にまつわる情報を毎月ゆる~く発信していこう、というコーナーです。たまにゲストも登場します。
・栗城広賢 KURIKI HIROTAKA
・宮本昌武 MIYAMOTO MASATAKE

前回は日高山脈に魅せられ広尾町から芽室町に移住してきた磯野君に違う角度で見る日高山脈の魅力を紹介してもらいましたね!
広尾町では、海をバックに見える日高山脈など、十勝側から観る日高山脈は景観ポイントで違う姿を見せるが良いですよね。
150kmにも及ぶ広大な山脈だからこそ観える姿は多種多様に変わるんですね!
そんな芽室から観る日高山脈の魅力を語ってくれる次の方は…!?

■芽室町教育委員会 大橋毅
芽室町教育委員会の大橋毅です。
20年以上前ですが、十勝川と美生川の合流点付近にある縄文時代前期(約6千年前)の小林遺跡を調査する機会があり、その時にヒトと日高山脈の関わりに考えを巡らす発見があったので紹介します。
この遺跡では人骨は溶けて残っていませんでしたが、当時の墓が8基見つかりました。そのうちの1つは長軸がほぼ西―東を向き、ベンガラと呼ばれる赤い顔料が墓の底に撒かれ、副葬品として蛇紋岩(じゃもんがん)製の耳飾りと黒曜石製のナイフが西寄りの位置に納められていました。
耳飾りの材料に用いられていた蛇紋岩は、日勝峠を越えた日高町の千栄(ちさか)が産地として知られ、「日高ヒスイ」とも呼ばれています。交通手段も未発達な数千年前の縄文人が、険しい日高山脈を越えてでも手に入れたいと考えるほど貴重な石だったことがうかがわれます。
墓の長軸方向や副葬品の位置関係から、この墓の縄文人は頭を西に向けて埋葬されていたと判断しました。縄文人にとって、埋葬時に頭を向ける方角には重要な意味があるとされており、遺跡の西側には日高山脈を見渡すことが出来ることから死後、頭を西向きに埋葬されたこの墓の主は、日高山脈の向こう側の地域にルーツを持つ人物だったのかもしれません。
※上記出土品の一部は「ふるさと歴史館ねんりん」で見ることができます。

問合せ:魅力創造課魅力発信係
【電話】62-9736(窓口2階8)

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