■その109「東光寺」(芽室町東一条六丁目二番地)
めむろ歴史探訪会 後藤正弘
曹洞宗東光寺の開基住職である渡部貫道は、明治二十二年、三重県員弁郡(いなべぐん)笠田村(現在のいなべ市)において出生した。
尋常科四年卒業後、修行を重ね、僧侶の資格を取得し行脚修行の旅に出た。
明治四十二年、青年僧は北海道函館の高龍寺を訪ね住職に来道の意を伝えた。その折、帯広市永祥寺の織田活道住職が逗留(とうりゅう)しており、これから南樺太へ旅をするので私の寺の留守を預かってと要請された。当面予定もない貫道師は承諾し帯広へ。
同年九月、活道住職は樺太から帰り、貫道師に芽室村美蔓説教所(現大統寺)への出向を命じ、更に明治四十四年、旧市街に説教所を開設させた。
貫道師の僧侶としての熱心な布教活動に、檀信徒も市街地で急増した。
大正期に入り、一寺創立の要望が強く、寺、役員中心に改革案が提示された。
一.新市街へ説教所の移設―大正四年
二.一寺創立自前の本堂の建立―大正五年竣工
三.寺号公称の申請―大正八年認可
大正七年、本山より直末(じきまつ)の認可、翌年、公称が認可され、東光寺が誕生した。当時住職は身体の不調を訴え、時に寺の機能が停止することもあった。住職には三男一女の子どもに恵まれたが、不運にも若くして病死。更に後継者の長男も遠く静岡より逝去の知らせを受け、夫婦の落胆はひと通りでなかった。
昭和二十年戦争は終結し、残された課題は後継住職を早く決めることだった。貫山住職の甥で、従弟で法嗣(ほうし)である楢男氏が昭和三十九年、家族共に東光寺に帰山し、同年十二月、二世住職に長女の道光尼が就任した。昭和四十年五月、貫道大和尚は七十七歳にて遷化(せんげ)された。
昭和四十二年、貫山師(楢男→晃全)が三世住職に就任、住職は主要建物の増改築を進め、境内の伽藍は管内でも有数の寺院となった。
平成二十五年、開創百年本堂、会館落慶晋山結制大法要が二日間に渡り盛大に行われた。この法要で新四世住職に晃誠副住職が就任した。
▽引用・参考文献
「東光寺百年史」
「芽室町百年史」
■先人が歩いた大津街道を訪ねる巡検
日時:九月十八日(水)
集合時間…八時四十五分
発・午前九時
着・午後四時(予定)
料金:千五百円、弁当持参
応募方法:芽室中央公民館前参加希望の方は、九月五日までに、氏名・住所・電話番号を問合せ先まで申し込みください。
問合せ:「めむろ町民活動支援センター」
【電話】62-0413【FAX】62-0414
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