■その115「西士狩神社」(芽室町西士狩北四線四十二番地)「秋葉神社」
めむろ歴史探訪会 瘧師信孝
▽西士狩神社
明治三十四年十月二十日、喜多辰蔵、森本仙吉らの尽力で部落中央部風防林中に国有林の解除を得て、部落の寄付金によって神殿を建てた。祭神は天照大神、大己貴神、少彦名神の三神である。明治四十一年十二月神社創立を出願し、明治四十二年十二月八日許可。西士狩神社は、鳥居、灯籠、社号標などの寄進が相次ぎ境内の整備が進んだ。その後、昭和十年には平地にあった拝殿を地盛りし、昭和十二年には社務所・本殿等を新築。その後、神殿を改築し、備品などを整え、昭和四十五年九月十三日落成した。この当時の建設期成人会長は森下定雄である。この神社の歴代社掌は、能瀬氏・寒河江氏の後を受けて森本常太郎・幸月・浅月、常良宮司となり、現在は赤沢一宮司である。氏子総代は昭和十六年から東西部落二名の総代をおき交代で総代表となり、平成八年から一期三年として、各部落から神社係を選出している。令和六年総代表は、棚田正一。
町は、芽室町開基八十周年記念事業としてこの境内に「町発祥の地」記念碑を建立し、昭和五十四年九月二十一日に除幕式を挙げた。
▽秋葉神社
御祭神は火之迦具土大神と言い、伊壯諾、伊壯再二神の神の御子で火の神様である。火の幸を恵悪化を鎮め、諸厄諸病を祓い除く火防開運の神として、火災消除、家内安全・厄除開運・商売繁盛・工業発展の御霊験あらたかなる物として、先人たち開拓の時から信仰され、西士狩地区坂の上地区等で行われていた。現在は本山からお札を頂いて祭っているところもある。
▽引用・参考文献
「芽室町史80年史」
「正一位帯広秋葉神社史」
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