◎こぶしは蘭越町の花木です。大自然の中でたくましく育つこぶしに学びましょう。
10月22日(火)に蘭越町生涯学習推進委員会文化財専門部会(部会長平岡敏昭氏)の委員が新しい看板の設置作業を行いました。
史跡地等の説明板設置については、第6次蘭越町生涯学習推進計画に基づき、史跡地の保存と活用のため、計画的に整備を行いました。
(記事については新蘭越町史を参照しております。)
■蘭越駅逓所跡
蘭越に駅逓所が設置されたのは、明治34年である。駅逓所とは、旅行者に不便のないように特設されたものであるが、「北海道概況」は、つぎのように説明している。
「駅逓所は本道未開辺地の交通に利便を与え、行旅者をして不便なからしむるための交通機関として特設せらるるものである。すなわち、本道駅逓所の起源は、古く松前藩時代の創設にかかり、開拓使時代に、官営制度により、駅舎は国費により建設し、もって旅人の宿舎に当て、官馬を備えて交通のように供し、駅逓所取扱人に対しては手当を支給することし、現在もほぼその制度を踏襲しているものである。
しかし、駅逓所設置の目的が上述の通りであるから、その地方の進展に従い、宿業の開設および交通機関の完備等のために廃止さるべきはもちろんであるが、依然、本道においては奥地開発上、欠くべからざる重要機関である。」
こういう性格をもつ駅逓所が、明治33年9月11日現在、全道に158カ所あった。その中から、関係町村分をひろってみると、後志では、永豊、黒松内、島古丹、昆布川、胆振では倶知安、真狩太、真狩別、留寿都、喜茂別、中山峠などである。(※国郡里制)
このような近隣の状況のところへ、翌34年貝殻沢、本目名、蘭越、奥昆布の4駅逓所が新設された。
■南尻別村役場跡
明治3年、シリベツ、ハヤウメ、シャウツカワの三字を合わせて、尻別村が置かれた。地域は現在の蘭越町全域におよぶ広大なものであった。
内陸部の開拓が始まり、移住者が定着するようになると、明治32年8月1日、尻別村を二分して、北尻別村(現港町)と南尻別村(港町地区を除く蘭越町の全域)が置かれた。
南尻別村は戸長役場を目名(現名駒町)に設置して、村政を開始した。戸数517戸、人口2,212人であった。
明治37年10月15日、北海道鉄道(現JR北海道函館本線)が開通して、目名、蘭越、昆布の各駅が開業、同40年5月には、国道42号(東京・札幌間。現在国道5号になっている)の村内通過が告示されるなどして、農産物、林産物の流通は飛躍的にのびた。明治42年4月1日、二級町村制を施行し、この年の6月に第1回の村会議員選挙を行った。戸数1,433戸、人口は7,688人になっていた。
その後開拓は内陸の丘陵地にまで広がり、交通、経済、行政は大きく変化をしたので、大正3年2月15日、役場を目名(現名駒町)から蘭越に移した。
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