豊頃町は令和7年1月1日で町制施行60周年を迎えます。昭和40年に町制施行されてからの本町の歩みを写真を交えながら紹介していきます。
本町に和人として最初に移住した人は、北海道の漁業にあこがれ、文久3年(1863年)に大津に来住した青森県の堺千代吉であると言われています。
明治13年に(※)十勝外四郡戸長役場(現在の町役場の前身)が設置された時を大津の開基とし、明治30年に函館大津間の航路が開かれると、大津は十勝の玄関口として大いに賑わい、『十勝発祥の地』として繁栄していきます。
明治29年に理想的な開拓地を求め十勝を訪れた二宮尊親一行は幾多の苦難の末ウシシュベツ原野を発見。明治30年に二宮農場として開墾し、現在の豊頃町の礎を築きました。
昭和30年、当時の大津村の特殊な地理的要因から、住民の希望もあり、紆余曲折を経て全国的にも珍しい三分割によりに大津村の中心部を編入。昭和27年の十勝沖地震以後続く冷水害などのため大変な赤字財政に苦しむことになりますが、次第に健全財政団体として本来の姿を取り戻し、以後各分野において著しい発展を遂げていき、経済事情も好転を続け、昭和39年当時には戸数1904戸、人口1万80人を数え、町並みの形態を整えるまでに発展。
これを受け、昭和39年10月13日の道議会で町制施行の議決がなされ、翌40年1月をもって町制が施行。
ここに大津村、豊頃村の歴史と伝統を受け継いだ新生『豊頃町』としての60年の歴史が幕をあけました。
※中川郡・河東郡・河西郡・上川群の四郡
昭和40年1月1日をもって、いよいよ町制が施行されました。従来、豊頃村と呼称されていた関係機関団体などはすべてこの日から豊頃町と看板が書き換えられることになりました。
昭和42年には豊頃町民憲章が制定され、今もなお、町民の歩むべき道を示し続けています。
昭和54年には、開基百年(明治13年に十勝外四郡の戸長役場が開設されて以来)、町村合併から25年を迎え、記念事業として現在の役場庁舎が完成。
また同年、長年の要望であった大津漁港も開港し、昭和58年には約8年の歳月を経て豊頃大橋が完成を迎え、徐々に現在の景観を整えていきました。
平成以降には次のような出来事があり、例えば、平成9年9月には、町の3大イベントに挙げられていた「秋あじ祭り」、「農業まつり」、「サーモンマラソン」を1つにした第1回「海と大地の祭典」とよころ産業まつりが開催され、近隣町村などの人たちが集まり、大いに盛り上がりました。
平成12年は開町120年を迎えた年で、記念事業としてはるにれ童話の絵本づくりなどが行われました。また社会事業として植樹も実施され、茂岩山の町道に桜やつづじを、十勝川河川敷にはハルニレが植えられました。
平成28年には台風7号、11号、9号、10号が連続して上陸ないし接近した影響で、十勝川が氾濫、決壊寸前となり、はるにれの木が被害を受けました。その後、はるにれの木は6年間をかけて治療されました。
年号が令和へと移り変わり、新型コロナウイルス感染症など様々な困難を乗り越え、令和2年に豊頃町は開町140年を迎えました。同年11月に記念式典が行われ、開町110周年記念式典で埋設した当時の中学3年生の作文などを収めたタイムカプセルの開封式が行われました。
昭和51年に開校された豊頃中学校旧校舎が老朽化に伴い令和5年に新築校舎として豊頃小学校敷地内に改築されました。翌年には豊頃小学校校舎が改修され、豊頃中新校舎と渡り廊下でつながった小中併設校として運用が始まり、小中連携教育がより活発になりました。
令和7年1月1日に豊頃町は町制施行60周年を迎えます。町制60周年を記念し、「ファイターズ観戦チケット大抽選会」をはじめとする各種記念事業が予定されています。
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