懐かしい写真を見ながら、かつての「音更」を思い出す「おとふけ回想録」。
あの頃の音更にはどんな風景があって、何をしていたのか。思い出は人それぞれ違うもの。
長く音更に住む人たちに集まってもらい、思い出話を座談会形式で語ってもらいました。
※掲載の写真は本紙をご覧ください。
司会(上野山、以下司):今日は、音更本町にお住まいの皆さんにお集まりいただきました。黒川義雄さん(以下黒)と森純夫さん(以下森)は昭和27年生まれ、高島正司さん(以下高)は昭和31年生まれです。よろしくお願いします。
■音更西保育園と音更映劇
司:3人とも本町で生まれ育ったんですよね?小さい頃からお知り合いですね。保育園はどこだったんですか?
黒:音更西保育園だね。
高:昔の本町は西然寺の所の音更西保育園しかなかった。
森:隣が西公園で、昔はそこに劇場があったんだよね。映画が来たり劇団が来てたりしたよね。
司:音更映劇ですね。それ以前は共栄座と言ったようです。
黒:定期的に女性だけで組む高松舞踊劇団というのが来ていたのでよく見に行った記憶がある。楽屋のドアが保育園のすぐ前にあって木の壁だったから壁の節の穴からのぞいたら水をかけられた人がいた記憶がある。
司:漫画のネタみたいですね。
■にぎわっていた音更本町
黒:パチンコ店の跡に、釣り堀の店ができたんだ。父親と弟が釣り好きで、この店で年を越したこともあったぐらいだよ。
高:店の中に大きなプールみたいな水槽があって、そこに魚を放していて釣るんだよね。昔そんなのが流行ったんだよ。
司:昔の本町は建物もいっぱいあって、ずいぶんにぎやかだったでしょうね。
黒:すごかったね。飲食店もいっぱいあったし。
森:駅の周りにいろいろな店があった。角に旅館とかもあったよね。
高:1丁目の方にも食糧事務所があって、そっちにも飲食店や蹄鉄所が何軒かあったよね。
森:みんな馬車で来てたからね。
黒:道には人や自転車がよく行き来していたしね。春先に谷汲山観音寺に5丁目の坂から上っていくと音更市街地が全部見えた。
当時は自分が小さかったからなのか「大きい街だなあ」って思った。
■子どもたちの遊び場
森:遊び場も谷汲山が多かったよね。昔は人がいない無人寺だった。
黒:みんなでソフトボールやったよな。
高:ちょうどホームベースの後ろに大きな木があってキャッチャーがいなくてもよかったし、1塁、2塁、3塁のところにもちょうどいい木があってベースにした。
黒:冬は高台の雪庇(せっぴ)(雪が突き出した塊)から飛び降りてターザンごっこもした。
高:5号道路(大通1丁目と2丁目の間の東西の道路)はまだ舗装にもなっていなかったし車通りも少なくてスキーやソリで滑ったよ。
森:市街地が舗装になったのはいつ頃だったかな。
黒:確か俺が小学1年か2年の頃で、道路に大きい土管が並んで置いてあったんだけれど、その中を行ったり来たりして遊んだ記憶があるからそれぐらいの時だな。
司:市街地の東側、国道付近まで遊びに行きましたか。
黒:そっちには音更高校と老人ホームがあったと思うな。
高:今の新通会館の手前ぐらいの所かな。
森:子どもだったしすごい遠い気がしたよね。
高:音幌橋の北側につり橋があったよね。
黒:増水したら流されるんだよな。夏には川をせき止めてその辺りをプールにしてたんだよ。
高:俺自転車に乗って渡っててそこから落ちたんだよな。柳の枝につかまってなんとか岸に戻った記憶がある。
司:家での遊びはどうでしたか。
黒:遊びはほとんど外だったね。家にいたら手伝わされたし。
基地作りやパッチやケンパ、石蹴りとかよくやったな。
■実家の商売
高:みんな実家が商売をしていたからね。
黒:俺は中学生から魚をさばいていた。何か買ってほしいと言ったら「あれやれこれやれ、風呂沸かせ」ってね。手伝いをして買ってもらえた。
司:テレビとかはどうでしたか?
黒:うちはテレビを買ったのは早かったな。商売やってたし。近所の人がよく見に来てたんだ。
司:外からのぞくんですか。
黒:いやいや家の中に入ってきて、近所の人とみんなでプロレスとか見ていたよ。
司:森さんはお父さんが柾(まさやね)屋根の職人だったんですよね。
※柾屋根…松の木の目(まさめ)に沿って2ミリぐらいの厚さに割った板を釘で打ち付けて重ねて屋根にしたもの。
森:父親は糠平まで葺ふきに行ってました。それも朝、自転車に乗って。木でできているので雨に弱くて、5、6年ぐらいしかもたなかったみたいで、当時はとても忙しかったみたいですが、トタンが登場して途端に!…仕事がなくなりました。
高:みんな柾の上にトタンを貼ったんだよね。
黒:そのあと野球の木製バットも作っていたよね。
森:それも金属バットが出てダメになりました。木は鉄に弱いんです。
司:3人から昭和30年代のにぎやかだった街の様子を聞くことができました。市街地図を見ると大通に商店が所狭しと並んでおり、子どもだった3人はこの町並みの中を駆け抜けていたんだろうなと思いをはせました。
本日はありがとうございました。
写真から思い出すことは人それぞれ違うはず。
皆さんも家族や友人と、かつての音更を懐かしみ、思い出話に花を咲かせてみてはいかがでしょうか。
今後も「おとふけ回想録」を不定期で掲載していきます。
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