■躍動する羽根
さまざまな分野において活躍する町民や団体を紹介するコーナーのタイトルを新しくしました。
躍動とは「いきいき活動すること」、羽根は「町民一人一人」を表現しています。
「羽根が集まれば大きな翼となり、立派な鷹として大空へ羽ばたく」
翼は「町民」、鷹は「鷹栖町」、町民の皆さんの活躍が大きな力となり、大空を飛ぶ鷹のように、鷹栖町の魅力が広く伝わってほしい、という思いを込めました。
■73歳の挑戦! ノルディックウォーキングで2回目の日本縦断達成!
木村広一(きむらこういち)さん
令和6年3月11日に2回目の日本縦断達成に向けて自宅を出発した木村広一さん。
道中で多くの人と出会い、人との「つながり」を強く感じたと言います。
達成後、体重が10kgも落ちた木村さんは「3回目の挑戦は分かりませんが、内に秘めた挑戦心はあります」と話してくれました。
元の体重に戻るまで、残り6kgとのことです。
今回は、北野地区在住のノルディックウォーキングで2回目の日本縦断を達成した木村広一さんをご紹介します。
当時65歳の木村さんは、平成28年3月11日に自宅を出発し、本州最南端の鹿児島県佐多岬から日本最北端の宗谷岬まで94日間をかけて、1回目の日本縦断を達成しました。
再び日本縦断に挑戦しようと思ったきっかけを聞くと「知人が背中を押してくれた」からだと言います。
最初の日本縦断を達成してから3年後、生活の中で運動を続けていた木村さんは、体力の低下を感じていなかったので、知人に「また挑戦してみようかな」と話したそうです。ある時、町内会の集まりで、知人が「木村さんは2回目の日本縦断に挑戦します」と宣言したそうで、「自分の口からは言えませんでしたが、迷いもあったので、最後の一押しをしてくれたと思っています」と笑いながら話してくれました。
70歳の時に挑戦する予定でしたが、コロナの影響もあり、令和6年、8年前と同じ3月11日に自宅を出発し、73歳の木村さんの2回目の挑戦が始まりました。
今回の挑戦での思い出を聞くと、序盤の九州地方に大変だったことが詰まっていたと言います。
まず、前回と同様に佐多岬から始める予定でしたが、早い段階で情報収集をしていた木村さんは、佐多岬行きバスの路線が無くなっていることを現地で知りました。急遽、ルートを変更し、鹿児島県山川港を始まりの地としました。
そして、出発3日目で最大のピンチが訪れます。慣れないスマホで道を確認していると「近道」のルートが表示されました。「近道どころか、勾配の急な道を14時間も歩き、目標の峠を越えられませんでした。足は痙攣し、足の裏の皮がほとんど剥けました。あれにはまいった」と笑顔で話してくれましたが、この時木村さんは、重さ13kgの荷物を背負いながら歩いています。この話を聞いて、驚きを隠すことができませんでした。
さらに、持っていたエアマットに穴が空いてしまい、1時間ごとに起きては空気を入れる夜が続いたそうです。やっとの思いで宿泊したホテルで穴を見つけ修復しましたが、秋田県に到着したころには完全に壊れてしまいました。「大変な思いもしましたが、共に旅をした相棒でした」と懐かしみながら話してくれました。
多くのことを体験した木村さんは、歩き出してから106日後の6月27日に宗谷岬に到着し、見事、2回目の日本縦断を達成しました。「達成した時は、自分を『よくやった』と褒めてあげました」と話し、続けて「苦しい時に一番助けてくれたのは妻です。妻のサポートあっての達成です。それと、継続的な運動によるアンチエイジングが大切だと思いました。目標に向かって努力したことは、必ず自分の財産になります。年齢に関係なく、皆さんも何かに挑戦してみてください」と最後にメッセージをいただきました。
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