■各分野で活躍する移住者と考える あったかすなまち「鷹栖」の現在地と未来
・町長 谷 寿男(たにとしお)
令和6年11月から4期目の町政を担う鷹栖町長 谷 寿男。
「笑顔 幸せ みんなでつくるあったかす」をスローガンにまちづくりを進めています。
・松下元気(まつしたげんき)さん
シンガーソングライターやユーチューバーの経歴がある松下元気さん。
父の松下久志さんの仕事を継ぐため、15年ぶりに鷹栖町に帰ってきました。
・高畠奈々恵(たかばたけななえ)さん
幼少期からバドミントンに打ち込んできた髙畠奈々恵さん。
現在は、バドミントンのクラブチーム『Nexus BC』を立ち上げ、指導者として活動しています。
・久保田耕二(くぼたこうじ)さん
新規就農研修施設「あったかファーム」の第5期研修生として鷹栖町に来た久保田耕二さん。
きゅうりの養液栽培で昨年就農しました。
・南 亜太良(みなみあたら)さん
鷹栖蒸溜所でジン「RETROGRADE(レトログレイド)」を酒造している南亜太良さん。
現在、ジンを酒造する「日本最北端の蒸溜所」と言われています。
【町長】
皆さんお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。今回は、町内で活躍する移住者・Uターン者の皆さんにお集まりいただきました。今日は、よろしくお願いします。
始めに、自己紹介からしたいと思います。
それではまず私から。町長の谷です。農家の息子として鷹栖町で生まれ、保育園から高校まで鷹栖で育ち、役場に勤め、町長となり現在にいたります。私は3つの思いをもって町長になりました。
1つ目は、鷹栖町の基幹産業である農業は、先代の人たちが本当に苦労されて水田や畑を作り、今の豊かさがあります。それを次の世代に継ぐためです。
2つ目は、子供たちの可能性というのは無限大です。成長できる場や活躍できる場を作りたいと思いました。
3つ目に、鷹栖町を築いてこられた方々へ、感謝を伝え、最後まで生きがいをもってこの町で暮らしてもらうことです。お葬式も家族葬などが増えてきましたが、地域の人で「ご苦労様でした」と手を合わせて感謝を伝えることのできる、あったかい地域を作りたいと思っています。
次に、松下さんお願いします。
【松下】
松下元気と申します。生まれは栗沢町で、3歳頃に鷹栖町に来ました。18歳まで鷹栖町で生活し、高校卒業後は沖縄の大学に進学しました。沖縄で音楽を始め、参加した音楽コンテストで優勝し、歌手としてCDを出す話があり東京に行くことになりました。
それから、東京で音楽活動を始め、結婚し、妻の地元の熊本に行き、そこで地域おこし協力隊として5年間を過ごしました。
父が鷹栖町で車いすを作る仕事をしているのですが、父から連絡があり、『10年ぐらいで引退を考えているから、一緒に仕事をやらないか?』と誘ってくれたので去年(令和5年)の12月に15年ぶりに鷹栖町に帰ってきました。
今は家族6人でこれからに向けて頑張っています。
【町長】
続いて、髙畠さんよろしくお願いします。
【髙畠】
髙畠奈々恵と申します。出身は隣の旭川市で、親が社会人でバドミントンを始めたことをきかっけに、小学生からずっとバドミントンをやっています。高校はバドミントンで旭川実業高校に入学しまして、卒業するときに選手としての将来も考えたのですが、自分のやりたいことを考えたとき『人に何かを教えること』が好きだったので、教育大学に進学することを決めました。大学卒業後は、バドミントンでお世話になった方が教頭先生をされている小学校のバドミントン少年団の指導者をお願いされ、そこの小学校で14年間勤務しました。
夫が実家の農家を継いだことをきっかけに引っ越しをすることになり、実家の近くでもある鷹栖町に興味を持ちました。鷹栖町に住む知人から『スポーツで全道大会・全国大会に出場すると町が支援してくれる』という話を聞き、自分の子どもたちもバドミントンを頑張っているし、子育てに力を入れている町だと知ったので、鷹栖町に住むことを決めました。
今は町の総合型地域スポーツクラブの支援をいただきながら中学校にバドミントンのクラブチーム『NexusBC』を立ち上げ、指導者として活動してます。
【町長】
それでは、久保田さんお願いします。
【久保田】
私は久保田耕二といいます。生まれは猿払村で、当時、やりたこともなかったので親から『それなら地元の役場に勤めたら』と言われて高校卒業後、役場に就職しました。町長を前にしてこんなこと言うのもあれですが、自分の中で役場勤務に見切りをつけていたこともあり、家族とも相談して、30年目で退職することに決めました。
ただ、退職をしたけれどやりたいことがあったわけではなかったので、何をするか考えていた時に、子どもが旭川の大学に通っていたので旭川に行くことが増えました。何回か訪れると、漠然とここの地域が住みやすそうだと思ったので移住を決めました。
こっちにきてからの仕事は、広告で見かけた和寒町の農家さんに雇っていただき、1年間働かせてもらいました。ここでの経験から農業に挑戦したいと思うようになり、鷹栖町に農業研修生として2年間お世話になりました。
そして、学んだきゅうりの養液栽培で令和6年の春から就農し、鷹栖町の役に立てればと思い活動しています。とりあえず15年は頑張りたいと思っています。
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