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《特集》町長との新春座談会(2)

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北海道鷹栖町

【町長】
次に南さんお願いします。

【南】
鷹栖蒸溜所という所を建て、ジンを作っている南 亜太良です。出身は横浜で、3歳の頃に田舎で子育てをしたいと思った両親が鷹栖町に住むことを決めて移住しました。
町内の小中学校を卒業し、髙畠さんと同じ旭川実業高校に入学し、3年生の1年間はニュージーランドにある姉妹校に通っていました。
高校卒業後は、京都と札幌の大学に通い、北海道大学の観光専門の大学院に入りました。観光やビジネスを題材として勉強する中で、お酒に関連する人や場所に行くことが多かったので、お酒を製造することに興味を持ちました。
学校を卒業してからは、札幌の広告会社に勤め、ふるさと納税のプロモーションなどを担当しました。たくさんの商品を見てきて、『自分が生産者になったら』と想像していると、自分の好きなお酒を造ってみたいと思うようになり、ジンを造ることに決めました。
地元で活動したいと思っていたので、会社を辞めて、令和3年に家族3人で鷹栖町に戻ってきました。それから準備を進めてきた蒸溜所が令和5年に完成し、令和6年にジンを商品としてリリースできました。

【町長】
松下さんは、大家族で15年ぶりに帰ってきましたが、鷹栖町は変わっていましたか?

【松下】
変わっている部分もありましたが、鷹栖町の雰囲気と言いますか、根本的には変わっていなくて、帰ってきた安心感がありました。
子どもたちが楽しそうに自然の中で遊んでいる姿を見ると、昔の自分の姿と重なって嬉しい気持ちになります。今まで夜10時に寝ていた子どもたちが、疲れて7時ぐらいには眠たいと言って寝ます。遊具で遊ぶのも楽しいけれど、小さい頃から自然の中で0から1を見つけて遊び、成長することが、すてきなことだとあらためて思いました。

【町長】
私もすてきなことだと思います。起きたら気持ちの良い朝日を浴びて、自然が多いからこそ感じられる風だったり、動物たちの鳴き声を聞いたり、そして、鷹栖の美味しい産物を食べて成長する。子どもの頃からこれを生活で感じられるというのは、大事なことだと思います。
南さんも、鷹栖町に戻ってきましたが、なぜ、鷹栖町だったのでしょうか。

【南】
そうですね、お酒を造るうえで水がとても重要なので、他の市町村のことも調べました。
ただ、会社を設立するのも、酒造事業をするのも初めての状態で、全く知らない地域によそ者として行くことが大変だと思いました。もちろん応援してくれるとは思いますが、人間関係を築くことは簡単なことではないので、拠点をもつなら、昔から知っている人、環境のある鷹栖町が良いと思い決めました。

【町長】
子どもはどうですか?札幌の保育園から鷹栖町の保育園になったと思いますが。

【南】
子どもはとても楽しそうに生活しています。都会と田舎暮らしを経験していますが、私としては一長一短だと思います。学校に遊具はありましたが、住んでいる周りに遊具はなかったので私も松下さんと同じく、小さい頃は自然の中で0から1を見つけて遊んでいました。時代の進みもありますが、札幌には遊具を使って遊べる公園も多いですし、保育園まで歩いていたので、運動量だけで言えば鷹栖保育園よりもあるかもしれません。
都会の人からすると田舎は自然が多いから遊べる場所も多いイメージを持たれている方がいると思いますが、鷹栖町は農業の自然なので、意外と移住してきた人は遊べる場所が少ないと感じる人がいると思います。
それでも、鷹栖町でしか味わうことのできない、自然の中での遊びもあるので、見方一つで楽しみ方も変わると思います。

【町長】
子どもの頃から鷹栖町を知っている南さんだからこその視点ですね。いろいろな場所を知って、さまざまな経験ができるというのは、大切なことだと思います。
髙畠さんは鷹栖町に来て感じたことはありますか?

【髙畠】
松下さんと南さんのお話を聞いて『なるほど』と思いました。
私は旭川での生活が長いのですが、子育ての環境でいうと、旭川の保育園と鷹栖の保育園を比べた時に鷹栖町がすごく良いと思ったことがあります。それは『主食を持っていかなくてもいい』ということです。子どもが旭川の保育園に通っている時は、お米やパンを用意しないといけなくて、仕事の準備をしながらお米を炊き、子どもたちを別々の保育園に送らないといけなかったので、とにかく時間がなくて大変でした。主食を用意しないというだけで、負担がとても軽減されたので私はすごく良いと思いました。
それと、鷹栖町の児童クラブにもお世話になっているのですが、子どもたちにとって、すごく良い環境だと思います。旭川の学校で勤務していたので学童保育の現場を見てきていますが、狭い空間に子どもたちが大勢いるので先生の『走らない、静かにしなさい』という言葉をよく聞きました。けれど、子どものことを考えると、学校が終わったのに楽しめないというのも、何とも言えない気持ちになります。それが鷹栖町ではすごく開放的で、自然と触れ合う機会も多いのでとても良いと思います。

【町長】
今は共働きが当たり前の時代になっています。親と子、どちらも過ごしやすい環境というのは重視されるところですよね。
久保田さんは鷹栖町に来てどうですか?

【久保田】
自己紹介でもお話しましたが、30年間役場に勤めてから個人事業主として生活を始めました。町をはじめ農協や近隣の農家さん、農業に関わる全ての人にお世話になっています。自分の知らない地域で助けてくれるのは地域の方なので、自分の目的・目標となる軸をしっかりと持ち、たくさんの方と接したいと思うようになりました。
なんとか、きゅうりの栽培が形になってきましたが、規模を拡大しようとは思っていなくて、ある程度の規模で生産性を上げることを追求していくことが自分に合っていると思います。農業だけをやるのではなく、自分の時間をどう有効活用していくかを考えたいです。
鷹栖町の農業研修生卒業者として、後の研修生と話す機会があると思うので考えていますが、就農するにあたっての最終到達点がどこなのか、どういう生活レベルを考えているのか、明確なビジョンを持って農業をしたほうが良いと言い続けたいです。私のように途中から農業を始める方の一つのモデルケースとなり、若者ではなく中年の方が挑戦できる道を作れたら良いと思っています。

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