■躍動する羽根
さまざまな分野において活躍する町民や団体を紹介するコーナーのタイトルを新しくしました。
躍動とは「いきいき活動すること」、羽根は「町民一人一人」を表現しています。
「羽根が集まれば大きな翼となり、立派な鷹として大空へ羽ばたく」
翼は「町民」、鷹は「鷹栖町」、町民の皆さんの活躍が大きな力となり、大空を飛ぶ鷹のように、鷹栖町の魅力が広く伝わってほしい、という思いを込めました。
■多くの経験 鷹栖町の歴史 後世に繋ぎたい本
側 彰(がわあきら)さん
今回は、鷹栖地区在住で郷土資料館の説明員と新郷土たかすの編集を担当している側彰さんをご紹介します。
側さんは昭和25年に鷹栖町で生まれました。学生時代は歴史と映画に興味があり、北海道よりも本州の方が歴史に触れられると思い、昭和44年に上京。株式会社丸井グループに就職します。
映画関係の仕事をしたいと考えていた側さんは、東京で偶然見つけた映画雑誌「キネマ旬報」を読みます。この雑誌で営業職を募集しているのを見かけ、履歴書を送ったところ採用。昭和45年に映画雑誌を発行する株式会社キネマ旬報社へ転職しました。
側さんは「この頃は現代ほど映画館に行ける機会はありませんでしたが、営業で映画館に雑誌を持っていくと招待券がもらえました。そのおかげで、たくさんの映画を観賞することができました。多いときは1年間で360本も見ました」と笑いながら話してくれました。
「そろそろ北海道に戻ろう」と思った側さんは、約23年間勤めたキネマ旬報社を退職し、当時ブームだったゲーム機に目を付け、旭川で「カメレオンクラブ」というゲームソフト販売店を出店。大人気ゲーム機の「スーパーファミコン」や「プレイステーション」などを8年間販売し、53歳頃、鷹栖町に戻ってきました。
それから数年が経ち、老人会だよりの編集を担当していた側さんに「新郷土たかすの編集委員会に入ってくれないか」と声がかかります。この委員会には、鷹栖の歴史を調べていた郷土資料館初代館長の朝倉光治さんも所属しており、歴史好きの側さんは、1度お会いしてみたいと思っていたので委員会に入会しました。
さらに「文化財審議会に入らないか」と誘いがあり、これも了承。当時は、文化財審議会委員が郷土資料館の管理を行っていました。
管理人として側さんが初めに取り組んだことが、多くの人に足を運んでもらえるよう、工夫した展示品の配置でした。整理したことにより郷土資料館は見やすくなりましたが、根本的な大きな問題が発覚しました。
それは、展示品や鷹栖町の歴史について知識がなかったことです。「歴史は好きでしたが、鷹栖町の歴史も知らなければ、新郷土たかすも読んだことがなかったので苦労しました。分からないことは朝倉さんに教えてもらいながら、自分でも調べました」と振り返り、続けて「実際に現地に行ったり、資料を調べたりと大変でしたが、歴史を学べる時間はとても楽しく、有意義なものでした」と話してくれました。
新郷土たかすについて話を聞くと「歴史だけではなく『今を生きる人の声』なども集録しています。非常に役立つ書物なので、私は、後世の人たちが利用できる資料的な存在になってほしいと思っています」と話してくれました。
最後にこれらの活動について側さんは「鷹栖町は農業の町です。令和6年に、昔実際に農業で使われていた馬具が国の登録有形民俗文化財として認定されました。今の鷹栖町があるのは、先人の方たちが苦労しながらも頑張ってきたからです。そして今、その時の頑張りが文化財として残り、郷土資料館に展示されています。歴史を知れば、見慣れている風景の見方が変わり、普段と少し違った鷹栖町を感じられるかもしれません。歴史を伝える場所として郷土資料館があり、未来の人たちへと言葉や情報を繋ぐために新郷土たかすがあると思います。多くの資料を残してくれた朝倉光治さんの遺志を受け継ぎ、1人でも多くの方に鷹栖町の歴史を知ってもらえるよう、これからも頑張ります」と思いの丈を語りました。
■郷土資料館
鷹栖町南1条1丁目に位置する歴史資料館。開拓当時の苦労を物語る資料や滅び行く民具、水稲と馬に関する資料、風俗・教育等に関する資料が展示されています。
開館時間:
・4月~9月…午前10時~午後5時
・10月~3月…午前10時~午後4時
■新郷土たかす
昭和37年から半世紀以上にもわたり、年1回発行されている郷土誌。町出身者の方だけではなく町や人にゆかりのある方の寄稿文のほか、小説、随筆、短歌、俳句なども掲載しています。
鷹栖町図書室で読むこともできますので、興味のある方はぜひご覧ください。
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