■千葉県の形いまむかし
▽縄文時代は島だった!?
縄文時代中期、千葉県は島に近い状態だったと考えられています。現在の平野部は海中で、台地や丘陵部の縁が入り組んだ海岸になっていました。千葉県の貝塚の多くは内陸部にありますが、当時は意外と海に近いところだったといえます。
▽とても大きな内海「香取海(かとりのうみ)」
次第に土地の隆起や土砂の堆積により陸地が増えましたが、現在の印旛沼・手賀沼・霞ケ浦(かすみがうら)の辺りには「香取海」という大きな内海が広がっていました。
香取海は水上交通が盛んで、沿岸には多くの古墳が造られました。また、外海とつながる軍事的な要衝でもあり、香取神宮(香取市)と対岸の鹿島(かしま)神宮(茨城県鹿嶋(かしま)市)はヤマト政権による東国平定の拠点であったといわれています。
▽江戸時代の大工事
江戸時代には江戸の町の利水・治水のため、当時東京湾に流れ込んでいた利根川を、香取海を通じて太平洋に注ぐよう流路を変える大工事が行われました。これにより土砂の堆積が進んで香取海は小さくなり、チーバくんの形でおなじみ、現在の千葉県の形に近づきました。
問合せ:県立中央博物館
【電話】043-265-3111
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