来月は師走。この月になりますと、戦争世代の親を持った私たちは、否が応でも12月8日の真珠湾攻撃のあの映像と「大本営発表。帝国陸海軍は、云々」の映像が、思い出されます。
数年前、友人で本町片貝下タ谷の布留川純氏から「真珠湾攻撃のあの映像は、伯父の布留川泉(いずみ)が撮影したものだ。」と聞かされ、驚いたことがあります。この事は、すでに本やテレビで紹介されています。先日、再び布留川海軍大尉(1914~44)の事を聞きに生家である下タ谷の純氏宅を訪れました。氏は、最近ではと言って、取材に来たNHK職員の大島隆之氏の『真珠湾攻撃隊』(講談社現代新書)と大網白里市郷土史研究会の八角俊氏の講演資料「真珠湾攻撃を空撮した海軍士官ー片貝出身布留川大尉ー」を示されました。そして大尉の母、純氏の祖母ミヤさんが話してくれたという、泉氏の子供時代の様子「旧制成東中学校に徒歩で通うので朝の四時半、三食分の弁当を持たした」が印象に残りました。
帰り際、布留川宅の門柱には「布留川泉」の表札が掛けられていることに気づき、「戦争を風化させてはいけない。」というご家族の強い気持ちを感じました。
さて、拙き私の話は「九十九里音頭」の「百と言わずに九十九とにげた花も実もある心意気」の通り、今回をもって終わりに致します。長年のご愛読をお礼申し上げます。
(九十九里郷土研究会顧問 齊藤 功)
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